慰霊の旅で見たものは
95歳の横田チヨ子さんから、1944年のサイパン島での戦争体験を聞いた国際旅行社(那覇市)の我如古涼太さん(31)。昨年6月、現地を訪問する「慰霊の旅」に初めて添乗員として同行した。「出発前は明るい参加者の皆さんの雰囲気ががらっと変わった」。島北部にある慰霊碑「おきなわの塔」の前で涙する参加者の姿が印象に残った。
横田チヨ子さん(右)の戦争体験を真剣な表情で聞く国際旅行社の我如古涼太さん(左端)と先輩の大浜政由さん=2月20日、那覇市・沖縄タイムス社サイパンに降り立って触れたのは、強い海風や肌を刺すような日差しの痛さ、サトウキビ畑など沖縄と似た雰囲気。おきなわの塔から徒歩数分の距離には、朽ちた日本軍の戦車や大砲がある。今も、戦争の爪痕が残されていた。
南洋群島から引き揚げた人たちでつくる「南洋群島帰還者会」が主催してきた現地訪問。チャーター便を飛ばした時代もあり、33回忌の76年は千人以上が参加した。遺族の高齢化で、帰還者会による旅は2019年で終了。22年からは長年、旅をサポートしてきた国際旅行社の主催となり、23年は35人が参加。子や孫世代の姿が目立つようになってきた。
おきなわの塔の近くにある、朽ちた日本軍の兵器=2009年、サイパン「知ろうとしていなかった」
13年に入社して初めて、南洋群島の戦争を知った我如古さん。当初は「行ったことのない南洋に行ってみたい」との好奇心が強かったが、歴史を学ぶうちに心境は変わった。昨年、添乗員に選ばれた時は身が引き締まった。
おきなわの塔で焼香する遺族ら。後方には多くの人が身投げしたスーサイドクリフがそびえる=2015年、サイパン宜野湾市で生まれ育ち、戦争体験者の話を聞いたり平和学習で歌を歌ったりした記憶はある。でも、詳細は覚えていない。今思い返せば「知ろうとしていなかった自分がいたと思う」。
死体のそばを逃げ回ったこと、島で「集団自決(強制集団死)」が起きたこと。横田さんの記憶から、当時に思いを巡らせた。「目の前で一対一で話してくれて、伝わってくるものがあった。思い出したくないはずの戦争のことを、伝えて下さったことに感謝したい」と話す。
日本から飛行機で3時間半の距離にあるサイパン島。移民として沖縄から渡った多くの県人が80年前、地上戦に巻き込まれて命を落とした=2014年優しく背中を押されて
横田さんとの対話を、今年88歳になる沖縄戦体験者の祖母に伝えると「いろんな人に会って戦争がどれだけ怖いものなのか聞きなさい。大人になって聞くことで変わってくると思うから」と返ってきた。非体験世代が歴史をつなぐ難しさを感じつつ、横田さんや祖母から優しく背中を押された気がした。
県内の平和学習では沖縄戦については学ぶものの、南洋の戦争を知るきっかけは少ないと感じている。
だからこそ、伝えていきたい。「伝えるためには自分自身が学ばないと。学んで家族や友人、同僚など身近な人から発信していきたい」(社会部・當銘悠)(次回は「対馬丸撃沈事件」を掲載します)
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