104人が犠牲となった熊本市中心部の大洋デパート火災から51年の29日、デパート跡地の複合商業施設「COCOSA」で総合消防訓練があった。犠牲者の遺族らが見守る中、市消防局や従業員ら計約100人が、初期消火や避難手順の確認した。
訓練は建物2階から出火したとの想定。けがをして逃げ遅れた人が2階に1人、5階に3人おり、5階の要救助者はアーケードの天窓を開け、はしご車を使って救助していた。
市中央消防署の藤井功副署長は「今後も有事に備えた高い防災意識を継続していただきたい」と講評した。
訓練を見守った遺族は熊本市東区の原田真羊(みちよう)さん(53)。火災当時2歳半だった。両親と大洋デパートに来ていて火災に遭い、目の手術後で視力が低下していた父が避難途中、母とつないでいた手が離れてしまい、犠牲となったという。
原田さんは昨年、大西一史市長に訓練継続などを求める手紙を手渡し、これを機に市は11月29日を「消防避難訓練の日」に制定。今回が制定後初の訓練で、「非常にありがたい」と受け止めた。
発生50年で、遺族としての慰霊にひと区切りをつけたという原田さん。火事に対する防災活動に力を入れたいと、10月に防災士の資格を取得した。「教訓を未来につないでいく。後ろから応援してください」と父に誓った。
熊本市の白川沿いの慰霊碑では、朝から市民らが犠牲者を悼んだ。
熊本市南区の保育士の女性(71)は当時、現場近くに勤める銀行員だった。花や飲み物を供え、「自分もあの日、大洋デパートに行っていたかもしれない。火にまかれて亡くなった方は辛かったでしょう」と話した。
熊本市立中の2年生だった片山淳一さん(65)=菊陽町=は出火当時、学校行事で市民会館に来ていた。「中心街は大混乱で、市電は止まりバスも来ない。家に帰れなくなってしまった」と回想。碑の前で手を合わせ、「51年が過ぎたが、『安らかに』としか言いようがない」と語った。【野呂賢治、中村敦茂】
大洋デパート火災
1973年11月29日午後1時過ぎ、大洋デパート(地下1階、地上9階建て)の2~3階の階段付近から出火し、3階以上がほぼ全焼した。出火原因は不明。74年に不特定多数の人が出入りするデパートなどは、既存の建物にもさかのぼってスプリンクラーなどの設置が義務化された。
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