「斂葬の儀」で三笠宮妃百合子さまのひつぎを乗せた霊車に続いて入られる喪主で孫の彬子さま=東京都文京区の豊島岡墓地で2024年11月26日午前9時47分、幾島健太郎撮影

 101歳で15日に亡くなられた三笠宮妃百合子さまの本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」が26日、東京都文京区の豊島岡墓地で営まれた。国際親善、母子保健の啓発、生け花など日本文化の普及に尽くした百合子さま。朝から夕方まで儀式が続く中、多くの参列者がその人柄をしのび、別れを惜しんだ。

 中心的な儀式の「葬場(そうじょう)の儀」は午前10時過ぎに始まり、秋篠宮ご夫妻ら皇族方やゆかりの人、三権の長ら481人が出席した。三笠宮さま(2016年に100歳で死去)を支え、3男2女を育てた百合子さまの歩みを振り返る祭詞(さいし)が読み上げられ、喪主を務める孫の彬子さまがひつぎの前で深く頭を下げて拝礼。慣例で天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻は出席せず、侍従長らが使者を務めた。

三笠宮妃百合子さま

 午後は、ご遺体が落合斎場(新宿区)で火葬されて墓地に戻り、「墓所の儀」が営まれた。彬子さまや皇族総代の高円宮妃久子さまらが見守る中、三笠宮さまが眠る墓に百合子さまの遺骨も埋葬された。宮内庁によると、副葬品として家族写真や子供の乳歯、母親の高木邦子さん手縫いの着物のほか、普段から楽しんでいた漢字のパズルゲームなどが収められた。

 祭壇の前では、2回にわけて一般拝礼もあり、903人が詰めかけた。千葉県佐倉市から来た元自衛官、衣笠陽雄さん(79)は父親が三笠宮さまと旧陸軍士官学校の同期だった縁で、ご夫妻と付き合いがあったという。拝礼後、「誰にでも分け隔てなく接してくださるご夫妻でした。百合子さまは優しく、いつもこまやかな気遣いをしていただいたので、お礼の気持ちを伝えました」と話していた。 【山田奈緒、高島博之】

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