27日に設立1周年を迎えた「北海道フードバンクネットワーク」をまとめる片岡有喜子さん(47)は過去に食べ物に困った経験がある。デパートの食品売り場で働いたときに、包装のまま廃棄される食品に疑問も感じた。「誰もが生活困窮者になり得る。支え合える社会を目指したい」。貧困の解消と食品ロスの削減に向けて奔走する。【片野裕之】
非正規でカツカツ 過去を力に
生まれ育った道東の清水町周辺は人よりも牛が多かった。4歳から父親が働く農業高校の加工場に通い、牛にえさをあげたりウインナーの腸詰めを作ったりした。「加工は残酷だったけれど、『食べ物は生き物なんだ』という意識がずっとあった」と言う。
小樽の大学に進学したが、就職活動でつまずいた。北海道拓殖銀行が経営破綻した1997年の翌年という最悪のタイミングで、道内企業は軒並み採用を見合わせていた。
非正規の仕事で食べつないだが、ダブルワークをしても「カツカツだった」。300円で1週間をどう過ごそうか――。小銭を握りしめ、途方に暮れたこともあった。まさか自分が食べ物で困るとは思っていなかった。
廃棄にショック
デパートの地下食料品売り場で働いていたとき、包装されたまま廃棄されるレタスを目の当たりにした。生活困窮者が喉から手が出るほどほしい食べ物が、流れ作業で捨てられていく光景にショックを受けた。
疑問を抱えながら働いていたとき、テレビ番組でフードバンクの存在を知った。生活に困っている人に食べ物を届け、食品ロス削減につなげるシンプルな取り組みだった。
「これだ」と思い立ち、2018年に社会保険労務士事務所を退職。知人らとNPO法人・フードバンクイコロさっぽろ(札幌市)を設立した。イコロはアイヌ語で「宝物」を意味する言葉だ。「大地の恵みを分け合いたい」との思いを込めた。
道内は活動するフードバンクが複数あっても面積が広大で、支援の空白地帯が生じる。一方、拠点のある都市間が離れており、団体間で連絡を取り合う機会は少なかった。
また、食品の寄贈は「取扱量」の多い団体に集まりがち。どれだけ多く配ったかという活動の実績を巡って団体同士が「ライバル」のような関係になることもあった。
折しも、新型コロナウイルス禍で収入が減る人たちが出て、食品の需要が急増。片岡さんは「どう対処したらよいのか分からず、孤独で不安だった」と当時を振り返る。
活動に思い悩む中、子ども食堂のイベントで他団体の運営者と顔を合わせ、同じ思いを抱いていることを知った。相談の場となるネットワークをつくろうと奮い立ち、道内の団体を訪ね歩いて15団体をまとめた。
ネットワークは存在感を発揮した。加盟する団体間で情報交換して、備蓄する食品を融通しあったり、賞味期限の近い食品をスムーズに必要な人たちのもとに送ったりすることができるようになった。
「食料を無償でもらい、無償で配る活動は気持ちが強くないと続けられない。でも、仲間がいれば。道内のどこでも食品が届く体制づくりを協力して進めたい」。片岡さんは生き生きと将来の展望を語った。
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