筋肉が次第に動かなくなる難病を抱えた女性がパラグライダーで空を飛びました。最愛の夫を亡くしてから、立ち上がり挑戦するまでの半年間を取材しました。

 須田有美さん、48歳。難病を患い、手足が動かせません。

難病と闘う須田有美さん
「なんか何で私がそんな、珍しい病気なんだろうとか。この先どうなっちゃうんだろうと」

 有美さんの病気は、国が指定する難病「遠位型ミオパチー」です。徐々に筋肉が動かなくなる病気で、根本的な治療法も治療薬もないといいます。日本では珍しく、わずか400人程度しかいないといわれます。

 大学を卒業した頃から体に違和感を覚え始めた有美さん。徐々に体が動かなくなり、今は24時間交代のヘルパーから介助を受けています。

 先の見えない闘病生活を支えたのが、夫の雅見さんでした。

有美さん
「夫も、片腕を切断しているハンデがあった。障害者同士が交流するサイトみたいなものがあって、そこでたまたま出会ったのが主人だった」

 とてもポジティブな性格で活動的な雅見さんに惹かれ、2人は有美さんが29歳の時に結婚しました。

有美さん
「主人が車の運転も好きだったので、本当にあちこち連れて行ってくれて、北海道も行ったし。まだそのころは自分でも結構できることも多かったので、妻としてできること、家事、洗濯をしたり、料理をしたり、何か楽しい生活でした」

 仕事も同僚からのサポートを受け、すべてが順調に思えました。そんな時期でした。雅見さんが突然、脳出血で倒れ、そのまま帰らぬ人になったのです。

有美さん
「この人がいてくれて良かったなと思っていた時に、自分はなんでこんな目に遭ってばかりなのかと。この先もずっとこんななのかなと。その時は全然希望がなくて、早く、主人のいる所に行きたいなって思っていました」

 雅見さんの死から4年ほど経った今年、ヘルパーの「やりたいことはないか?」という言葉が、あることを思い出させてくれたといいます。

有美さん
「(2人で)『最強のふたり』という仏映画を見て、その中で、重度の障害を負っている人がパラグライダーするっていうシーンがあって、それを見て、あっすごい飛んでみたいなって、私も」

 パラグライダー挑戦の朝。

有美さん
「(Q.(夫・雅見さんに)何をお祈りした?)無事に飛べますように、天気がもちますように、とにかく無事に帰ってこられますようにというのをお願いしました」
「(Q.一緒に飛びたかった?)多分一緒に飛ぶと思います」

 仲間の助けを借り、パラグライダー用の車いすに。標高1060メートルの山頂からおよそ10分間のフライトに挑戦です。

インストラクター
「須田さんは恐怖心はなさそうだけど」
有美さん
「結構ありますよ、楽しみだけど」
「皆ありがとう。いままでありがとう」

有美さん
「やー気持ちいい、おおすごい」

 大空に舞った有美さん。彼女にとって、そこは、自由を感じられる世界でした。

有美さん
「信じられない、こんな所飛んでる。ああ気持ちいい。すごい、もう終わっちゃう」
「最高でした。風が超気持ち良くて降りてきたくなかったです」
「(Q.飛んでいる時は病気のこと考えた?)全然そんなことはぶっとんで、自然の一部になったような、素晴らしい世界でしたよ、空は」

 前向きに挑戦ができた有美さん。病気に関しても明るい材料があります。これまで無かった「遠位型ミオパチー」の新薬が今年3月、厚生労働省に薬事承認されたのです。

 実は有美さんが新薬の話を聞いたのは16年ほど前のことです。患者数が少ないことなどから採算を取るのが難しく、開発に時間がかかったといいます。

有美さん
「やっと本当に(新薬が)飲めるっていうところまで来た時は、素直にすごくうれしかった。ただ私の症状としては進行がかなり進んでしまったので、もうちょっと早く飲めたらというのは正直あります」

 有美さん、空を飛んだことで変わったことがあるそうです。

有美さん
「自分がやってみたかったことって、自分の気持ち次第でかなえられる」
「(Q.次の目標?)富士山に登ってみたい。海外旅行に行きたい」

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