のれんを出す大西弘一さん(中央)。常連客が待っていた=奈良市で2024年11月21日午後2時53分、川畑岳志撮影
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 昭和の雰囲気を今に伝える町の銭湯がまた一つ、ひっそりと姿を消す。奈良市の近鉄奈良駅から徒歩3分、東向北商店街から西に入ったところにある銭湯「大西湯」(同市中筋町)。3代目の大西弘一さん(61)は24日の営業をもってのれんを下ろす。銭湯離れや人手不足などの問題を抱えていたところに、自身の体調も悪化した。大西さんは「がむしゃらにやってきた日々だった」と振り返る。

 開業は戦前の1930年代と伝わる。建物の中に入ると当初から残る立派なケヤキの棚やレトロなマッサージチェアが目を引く。浴室に入ると正面に桜並木や魚のタイル画があり、壁には広告の入った鏡が並んでいる。湯は熱め。「ザ・地元の銭湯」といった雰囲気が漂うつくりで、地元の常連客はもちろん、国内外の観光客らにも愛された。

男湯のタイル画。桜並木の間を川が流れ、白鳥が泳いでいる=奈良市の大西湯で2024年11月21日午後2時46分、川畑岳志撮影
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 銭湯離れが進んで客足が減るなかで「機械がダメになったらやめよう」と考えていたが、今年6月ごろに長年の腰痛が悪化。脊柱(せきちゅう)管狭さく症による座骨神経痛で本格的にしゃがめなくなり、閉店後に2時間かかる風呂掃除がままならなくなった。

 毎年12月にある奈良マラソンの時には、多くの市民ランナーが詰めかけたが、今年はそこまで持たない。息子2人にも「それぞれの生活があるから」と継がせなかった。10月に母と相談し、「もう続けられない」と閉業を決意した。すぐ、紙に「残念な事ではございますが、閉店させて頂くことになりました」と書き、入り口に貼った。区切りをつけ、思わず「ホッと」する気持ちがこみ上げたという。

 大西湯を継いだのは約25年前の30代の時だった。それまで大阪のハウスメーカーに勤めていたが「サラリーマンより実入りが良かった」ことから継ぐことにしたという。当時は1日約150人が訪れ、月2日の休みで繁盛していた。両親と妻の4人で「うまく回っていた」。

 ところが、父貞夫さんが6年前に他界。営業日も休みの日も何をするにも一緒だった最愛の妻真紀子さんも2021年に亡くした。営業日を減らし、時間を短縮しても、日々の業務を1人でやるには負担が大きくなった。「2人だったらなんともない閉店後の掃除も1人だとつらい」。アルバイトを雇うことも考えたが、条件面で折り合わず断念したのだという。

 奈良県によると、1968年に152軒あった県内の銭湯は、2024年11月現在で大西湯を除いて10軒にまで減少した。

 県公衆浴場業生活衛生同業組合の山﨑美隆理事長は「家に風呂があるのが当たり前になって銭湯の利用者が減るなか、事業者の高齢化や後継者不足、老朽化した設備の更新費用の高額さなどが原因で閉業してしまう。銭湯が自宅と一体になっている場合が多く、他人に事業を継承するのも難しい状況がある」と話す。

 「まず、体をしっかり治したい。次は180度違った生活になるかな」と大西さん。閉業に後悔はないが、お客さんの反応には驚き、申し訳なさも感じている。

 SNSなどで廃業を知った昔のお客さんが訪れ、「さみしい」「続けてよ」という声をかけられた。大西湯が利用客にとってどういう場所か――なんて考えたことはなかったが、「愛されていたんだな」。【川畑岳志】

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