『釣りバカ日誌』のハマちゃん、『ドクターX』の蛭間病院長役など、幅広い役柄を演じ、親しまれてきた俳優の西田敏行さんが、東京都内の自宅で亡くなりました。76歳でした。
西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県郡山市出身。小学生のときに、役者になることを決意したそうです。
西田敏行さん(当時32)
「小学校4年だったと思いますけど、僕の家の裏に東北本線の上りが走っていたんです。無人踏切もありまして、結構、風情のあるところだったんですけど、そこでいつも線路に耳をあてていると、このまっすぐ行くと東京なんだなと。東京っていうところでいっぱい映画やなんか作っているのだから、とにかく、一度、生で見て、地続きに俳優さんがいる所に行ってみようと。気が付いたら上野。『どっから来たの?』って言われて、福島県から、『はいこっち来てね』って。(Q.どういうお役目の方)公安というか、家出少年(担当の方が来て)、夜行でおふくろが迎えにきました」
中学を卒業して上京。大学は中退。両親のすねをかじりながらも、1970年に劇団青年座に入り、夢を実現しました。
2018年、旭日小綬章を受けたときも、少年時代の面影が残るような、あたたかな人柄があふれていました。
西田敏行さん(当時70)
「『かあちゃん、やったぞ』みたいな感じ。『役者になりたい』と小学5年生のときに両親に言い出したときに、一生懸命、それ以降、サポートしてくれた。わが両親に、一番、先に伝えたい」」
東日本大震災では、真っ先にふるさとに向かい、福島県産の野菜などの安全性をPR。原発事故で避難する人たちを、直接、励ましたこともありました。
西田敏行さん(当時63)
「みんな笑顔でいてくれるけど、内心は切ないと思う。少し時間が経ったら喪失感やいろんな気持ちが湧いてくるだろうし、俳優としては、慰めるような仕事をしたい」
大きな存在を失った福島の人は・・
居酒屋『竹』 広瀬武子さん
「かっこいいキュウリじゃなくて、太くて中に種があるようなキュウリを味噌につけて食べる。すごく美味しそうに、郡山のキュウリや野菜は最高だと、必ず郡山を言ってくれる。損失というか、そういう感じ。本当に立派な人」
役者として尊敬していたのは、渥美清さんだったそうです。
庶民的で愛されるキャラクターは、舞台の世界にとどまらず、バラエティ番組などでも人気に。
『探偵!ナイトスクープ』では、上岡龍太郎さんの跡を継ぎ、2代目局長を務めました。
映画『ゲロッパ!』で、ジェームスブラウンを愛するアウトロー役に起用した井筒和幸監督は、西田さんを“即興の名人”と語ります。
映画『ゲロッパ!』 井筒和幸監督
「ゲロッパ!の現場は、毎日がアドリブ大会でしたから、僕らの書いたシナリオの台詞やアクションのト書きを、どうやって面白おかしく、自分のものにして崩していくか。そういう芝居のやり方が、かなわないですね、かなわない。みんな自分たちの演技を忘れて、止まって見てしまうような。そういうリハーサルを思い出します」
凄みのある役柄から、軽快な役柄まで、演技自体がアドリブのような天才肌の芝居でした。
映画『ゲロッパ!』 井筒和幸監督
「本当に芸能を一番よく考えていた人じゃないか。“芸能の在り方”みたいな。一番いろんな現場を見ながら、考えてはった人だと思います。努力家でもあっただろうし、表には出さないけども。だから、いつも芝居の話をしていましたね」
20年以上続けてきた『人生の楽園』のナレーション。映像に語り掛け、視聴者に寄り添って感嘆する唯一無二です。今月3日の収録も、いつもと変わらない様子で参加していました。番組プロデューサーによりますと、フィーリングを大事にする西田さんは、アドリブも多かったそうです。
『人生の楽園』 杉山かおりプロデューサー
「西田さんは、いつもより良いナレーションを追求して、こっちの方が良いのではないかと、言い回し1つに至るまでこだわっていて、スタッフもいつも勉強になりました。収録スタジオに入るだけで明るくなって、大谷選手や好きな阪神など、野球の話を気さくにされていました」
西田さんは、自宅のベッドで亡くなっているのが見つかったということです。近年は、心筋梗塞で入院するなど、病気がちでした。
あたたかな人柄で周囲を笑顔にした西田さんの、静かなさよならでした。
若いころから切磋琢磨し合ってきた武田鉄矢さん。
武田鉄矢さん
「みな日差しに輝く西やんの笑顔の思い出ばかりです。あなたが、どれほど素敵な人だったか。これからくり返し、くり返し、思い出します」
『ドクターX』で共演した米倉涼子さんにとっても、突然のお別れだったそうです。
米倉涼子さん
「一昨日、写真をのせるからね!と話したばかりなのに。悲しすぎて、悲しすぎて、まだ信じられません」
8日に行われた『ドクターX』劇場版の会見で、西田さんは“完結”への思いを吐露していました。この日は、最後まで椅子に座ったままでした。
西田敏行さん(今月8日)
「役者をやっていて、いろんな役をいただくわけですけれど、蛭間重勝という役は、好きな役のベスト5に入るんですよね。ずっと蛭間重勝でいたいなという気持ちがあったもんですからね。だから、なんとなく終わるのが嫌だなって感じがしていました」
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