ノーベル平和賞、受賞したその裏には、被爆者の思いを語り継いできた高校生たちの姿がありました。

■平和公園で誓い 「“核”廃絶 諦めず」
13日、日本被団協の箕牧代表委員は34万人あまりの原爆犠牲者の御霊が眠る慰霊碑を訪れました。
(日本被団協 箕牧智之・代表委員)「ノーベル平和賞、今回いただくことになりまして、ご報告を申し上げるところです。坪井さんがいつも言われるように、私たちは、核兵器廃絶を諦めません。」
箕牧さんが名前を挙げたのは、長年、核廃絶運動の先頭に立ってきた、坪井直さん。3年前に亡くなりました。
坪井さんは20歳の時に、爆心地から1.2kmで被爆。
(坪井直さん)「バーンってきたら、ポーンと蒸発してしまったんですよ。遺品は何もありません。」
自らの被爆体験を多くの人たちに語り続けた坪井さん。海外にも20回以上渡って、核兵器の恐ろしさを訴えてきました。
(坪井直さん)「このエノラ・ゲイが落としたリトルボーイ(原爆)でね、軍人でなかった人が10数万人も亡くなったんです。」
坪井さんら、日本被団協が要望書を送るなどした結果、アメリカの現職大統領が初めて被爆地・広島を訪れました。
(坪井直さん)「“これでだいたい大丈夫だ”ということじゃないんですよ。これがきっかけでスタートだと。これで頑張っていこうと。」
心身に癒えない傷を抱えながら、目指したのは、あくまで“核兵器の廃絶”でした。

■“次世代”誓う「核兵器の存在・許さず」
被爆者の思いは、次の世代にも確実に受け継がれています。
「いつもここで署名活動を行っているんです。」
甲斐なつきさん(17)。「高校生平和大使」の27代目として活動しています。
(高校生平和大使 甲斐なつきさん)「悲惨な広島の被害だとか、被爆者の方の思いを聞く中で、平和な世界を作り上げていかなければならないなと、原爆や戦争について興味を持つきっかけになりました。」
今年8月には、スイスの国連欧州本部に約9万6000人分の署名を届け、英語でこう訴えました。
(高校生平和大使 甲斐なつきさん)「私の曾祖父は原爆投下後に救助活動のために広島市に入り、放射線に被爆しました。核兵器の存在は決して許されるべきではありません。」
今回、日本被団協がノーベル平和賞に選ばれた背景には、ウクライナ侵攻や中東情勢の悪化など、“核の脅威”の高まりがあります。
(高校生平和大使 甲斐なつきさん)「この受賞を、受賞という形で終わせるのではなくて、受賞したから次のステップへ、平和な世界が当たり前ではなくて、みんなが平和を思っているからこそ、平和な世界が成り立っている。だから、この思いを絶対に絶やしてはならないんだということを伝えていきたいです。」


10月13日『有働Times』より

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。