シャボン玉が飛ぶ大川小被災校舎前で創作曲「こころのつばさ」を歌う「Team大川未来を拓(ひら)くネットワーク」の只野哲也さん(左)と今野憲斗さん(右から2人目)ら=宮城県石巻市で2024年9月7日午後5時47分、百武信幸撮影

 宮城県石巻市の大川小被災校舎。13年半前の東日本大震災で児童74人と教職員10人が犠牲となった場所に9月7日、創作曲の柔らかな歌声が響いた。

母校の校庭に置かれた紙灯籠(とうろう)に明かりをともす大川小卒業生の今野憲斗さん(左)と只野哲也さん=宮城県石巻市で2024年9月7日午後5時5分、百武信幸撮影

 ♪「おかえり」「おかえり」 仲間たちをあたたかく迎える 雨上がり ともに目にした七色の虹――

 大川小を卒業した若者を中心に構成する「Team大川未来を拓(ひら)くネットワーク」が作詞した「こころのつばさ」。「おかえり」には、地元を離れた同世代の人たちに「いつでも帰ってきてほしい」との願いが込められている。

 合唱は、団体が企画する紙灯籠(とうろう)に明かりをともす行事「おかえりプロジェクト」の一環で披露された。2022年に始まり、過去2回は震災の犠牲者への追悼のほか、帰省した人にも足を運びやすいよう、お盆に開催してきた。今年は台風のため2度延期を余儀なくされ、9月になってようやく開催にこぎ着けた。

特別な場所・裏山の前にも紙灯籠

 「Team大川」を引っ張るのは震災当時、ともに大川小5年生だった代表の只野哲也さん(25)と副代表の今野憲斗さん(25)。震災後に出会った同世代の仲間と力を合わせ、約3年前から震災伝承や防災の発信、そして古里再生を目指して活動する。

 音楽もそうした活動の一つだ。仙台市で開催された音楽イベントのために曲の創作に挑戦し、作曲家の武義和さん=山形県小国町=に曲をつけてもらい、8月に披露した。母校・大川小で歌うのは「おかえりプロジェクト」が初めてだ。

 プロジェクト当日の夕暮れ前、チームのメンバーは仲間たちと手分けして、430個もの紙灯籠を設置していった。

 校庭、校舎前の中庭、震災時、上っていれば多くの命が助かったはずの裏山……。全国から寄せられた「平和」「今を大切に」などの希望が込められたメッセージや、子どもらが自由に絵を描いた紙をかぶせていき、一つ一つ明かりをつけていった。

 3年目の今年、初めて紙灯籠を置いた場所がある。裏山へと続く斜面の前だ。多くの児童が最期を迎えた特別な場所だが、大川小を訪れた多くの人々は震災した校舎に手を合わせ、斜面には背を向けることが多い。あの日ここで起きた出来事を、ほのかなともしびが教えてくれるよう、工夫を凝らした。

 ♪耳をすますと今もきこえる 友の声 目を細めるとよみがえる 君のまなざし――

 日が沈み、紙灯籠に光が浮かび上がる中、校舎前の中庭にメンバーたちが並んだ。大川小の校歌などに続き、「こころのつばさ」を歌い始めた。歌詞は過去2回の「おかえりプロジェクト」の日に見た情景が歌われ、この日も雨上がりの空に歌声がこだました。

 歌詞を中心になって考えた只野さんは「大川だけの歌、鎮魂歌ではなく、すべての人の応援歌にしたかった」と話す。震災後に感じてきた心の軌跡が、行間から伝わってくる。

 ♪We Create The Future! かけがえのないこの地で 仲間ととびらを開き かぞくの笑顔を守りたい――

 歌詞の1番で、真っ先に「かぞくの笑顔」を守りたいと願ったのは、津波で母と妹、祖父を亡くし、「家族や周りを心配させないように」と無意識に心を抑えてきた感覚に基づく。

 その後、親や周囲に気を使いすぎて、言いたいことや思いをのみ込んでしまった後悔から、歌詞の2番では「わたしの笑顔を守りたい」とつづった。

 そして「あなたの笑顔を守りたい」。歌詞の後半に思い描いたのは、仲間たちとともに抱く未来だ。「同じような経験をした同世代の人もきっといる。これからは今を生きる自分が笑顔でいること。そうすれば大切な人を笑顔にできるはず」

 ♪つくろう新しいふるさとを 笑顔あふれる ふるさとを

 歌詞の最後に込めたのはメンバー一人一人、自分たちの決意でもある。

震災の記憶が失われないように

 今の大川小周辺には、一息付ける場所はほとんどない。周辺は「災害危険区域」に指定され、住宅は建てられないが、店舗などは条件を満たせば建てられる。誰もがいつでも帰れる古里を作ろう――。被災校舎に近い住宅跡地を市から借り、4月にはコンテナハウスを設置し活動拠点を作り、地域再生を進めている。

 この日も、地元のキッチンカー運営会社に協力してもらい、拠点の前で「石巻焼きそば」やかき氷を販売すると、校舎見学やイベントに参加した子どもらがおいしそうにほおばる姿があった。

 地元では、被災校舎周辺は「鎮魂の場所」という意識が強く、新しいことを始めるのに慎重な声もある。遺族らの思いを大切にしつつ、只野さんたちには「人がいなければ大川の土地に根付く文化も震災の記憶もいずれ失われていく」との危機感がある。

 今回の出店も、若者らが足を運び、長く過ごしたくなる空間を作ろうと、未来を見据えた新たな挑戦だった。いずれコンテナハウスを増やし、カフェを開いて雇用を生み出す夢も描く。

 会場には只野さん、今野さんの1学年上に当たる女性が家族で訪れ、幼い子どもたちが校庭を元気に走り回っていた。普段は保育士として働く今野さんは「子どもたちも来てくれて、これが自分たちの学校の本来の姿なんだと思った」と充実した表情をみせた。

 只野さんは「生まれた古里でみんなで歌えた。次はもっと大人数で歌えたら」と語り、「ともに歌う仲間」が1人でも多く増えることを期待する。「こころのつばさ」は来年以降も続ける「おかえりプロジェクト」などで披露していくという。【百武信幸】

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