北海道・知床沖で令和4年4月、観光船「KAZU Ⅰ(カズ・ワン)」が沈没し乗客乗員26人が死亡、行方不明となった事故から23日、2年を迎えた。これを区切りに、出港地の北海道斜里町は来月6日で献花などの受け付けを終了する。事故の記憶が薄らぐ中で風化をいかに防ぐか。地元では葛藤も生まれつつある。
「大切な人の元に戻れますように」。町役場の正面玄関にある献花台。地元住人や観光客らが持ち寄った花束や手紙、千羽鶴などが丁寧に並べられ、月命日になれば訪れる人も増える。事故直後、献花台は遺体安置所だった町の体育施設にあったが、後に役場へ移され、職員が毎日持ち回りで管理してきた。
町によると、これまでに約2600組の献花を受け付けたが、2度目の追悼式を区切りとし、翌日以降は役場の献花台を撤去。大型連休中の5月6日までは弔問客が多く訪れることを想定し、別の施設で受け付ける。
町の担当者は「どこかで区切りをつけなければならない。私たちにも葛藤はある」と話す。担当者によれば、町民や職員から献花台の前を通るたびに事故の記憶がよみがえり、「胸が痛くなる」といった声も聞かれるようになっていたという。
事故後に引き揚げた船体は現在、海上保安庁が捜査の証拠資料として保管しているが、捜査終了後の扱いは決まっていない。
運輸に絡む過去の重大事故では、航空機などの機体の一部を保存し、教訓に生かす動きもある。520人が死亡した39年前の日航ジャンボ機墜落事故では当初、日本航空が機体を廃棄する予定だったが、遺族らの要望で保存が実現。平成18年に開設した「安全啓発センター」(東京)で機体や遺品66点を展示する。
兵庫県尼崎市で17年、乗客106人が死亡したJR福知山線脱線事故でも、JR西日本が来年12月ごろの完成を目指し、事故車両の保存施設を整備する計画だ。同社によると、遺族らの間で賛否が分かれる一般公開の是非は結論が出ておらず、当面は社員の安全教育に生かす予定という。
知床事故で親族を失った北海道内に住む叔父(51)は「事故を思い出したくない気持ちはあるが、忘れてほしくないという思いもある」と複雑な心境を吐露した。
事故の記憶継承に詳しい金沢大の井出明教授は、知床事故の船体保存について「一義的には遺族感情に配慮すべき」と指摘した上で、「遺構は事故の風化防止という役割だけでなく、海の安全教育にも役立つ公共的な価値がある。社会全体で活用する方法を模索すべき」と提言している。
客足、回復伸び悩む
観光船沈没事故は斜里町の観光に暗い影を落とす。今年も観光船シーズンが始まったが、事故で安全への信頼が揺らぎ、客足は遠のく。3月末で廃業した運航会社は「事故が観光船事業に著しい一撃を加えた」と肩を落とした。
平成17年に町の一部を含む知床半島が世界遺産に登録されて以降、観光船は自然体験の目玉の一つとなった。町によると、昨年の観光客数は新型コロナウイルス禍前に比べ約3割減少。道内の他地域と比較しても、客足の回復は伸び悩んでいるという。
知床斜里町観光協会の事務局長、新村武志さん(57)は「事業者の廃業は地元でもショックが大きい。安全対策はアピールしているが、なかなか日本人の客足が戻らない。これが一番つらい」と打ち明けた。(白岩賢太)
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