112歳で県内最高齢の喜友名靜子さん(北谷町)は県内唯一の明治生まれ。30代で沖縄戦を経験し、60歳を過ぎて自動車免許を取得。80歳を前に琴や琉球舞踊、書道を習い始めた。30年近く一緒に暮らした孫の朝秀さん(67)は「おばあは努力の人。何でも自分でこなす料理上手のおばあは家族の誇り」と語る。16日の「敬老の日」には、介護付き高齢者住宅で生活する靜子さんに花束を届ける予定だ。(社会部・吉田伸)

 北谷村(当時)出身の靜子さんは旧姓花城。11番目の末っ子として1912(明治45)年に生まれた。18歳ごろ結婚し、3男1女に恵まれた。

 沖縄戦当時32歳。夫と子どもや義父母を連れ、本部半島の山中を逃げて生き延びた。自宅があった下勢頭は米軍に接収され、今は嘉手納基地の中だ。

 「桃原集落に掘っ立て小屋を建て、その一角で缶詰などを売って商売を始めたと聞いた」。40代半ばには同村砂辺の自宅の一角に雑貨屋「喜友名商店」をオープン。食べ物やお菓子、たばこ、電球やぞうりなどの日用品を扱った。「おばあは商才があった。クリスマスは那覇で仕入れたおもちゃが即完売。『シガレット』『ベジタブル』と英語も覚え軍人にも商売した」

 息子に勧められて車の免許を取ったが、怖がって乗らなかった。1度だけ運転したのは夫が痛風でもん絶した時。日産「ローレル」の重いハンドルを握り、北中城村の医者の所まで車を走らせた。

 靜子さんの誕生日には毎年、子や孫、ひ孫、やしゃご50~60人が集まり盛大に祝った。

 コロナ禍以降、誕生会は開けていないが朝秀さんは「6月10日は『おばあの日』。おばあのおかげで家族・親戚の絆が強まった」と感謝した。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。