太平洋戦争で亡くなった特攻隊員らへの鎮魂の願いを込め、元海軍飛行予科練習生(予科練生)の加納康夫さんが戦後にライフワークとして描いた油絵15点を展示した「海軍機絵画展Ⅰ」が茨城県阿見町の予科練平和記念館で開かれている。作中に描かれた軍機の多くは特攻に使われた機種で、学芸員の山下裕美子さん(48)は「戦死した先輩への鎮魂の思いを表現しているのでは」と話す。10月27日まで。
加納さんは軍靴の足音が迫る1929年、岐阜県大垣市に生まれた。37年、盧溝橋事件に端を発し、日中戦争が勃発。40年に「零式艦上戦闘機(零戦)」が制式採用されると、パイロットは花形に。41年、太平洋戦争開戦後は子ども向け雑誌にも軍人が「美談」として登場し、子どもらの憧れをかき立てた。
こうした中、15歳だった加納さんは44年、甲種第15期予科練生として三重海軍航空隊奈良分遣隊に入隊。海軍飛行兵となるも45年、戦局悪化に伴い予科練教育も中止に。軍機に乗ることなく終戦を迎えた。大戦末期、毎期3万人以上を採用した予科練だが、その多くは海軍の各部隊に配属され、中には人間魚雷「回天」など海の特攻に回る者もいた。
2008年夏、同館は加納さんから油絵33点の寄贈を受けた。今展の15点は90年代に制作された作品が中心という。「寄贈時は軍機を描いた作品に抵抗を覚える人も少なくなく、展示できる風潮ではなかった」と山下さん。だが「特攻隊が初出撃して80年がたち、戦後80年が迫る中、冷静に向き合える社会にもなってきた。先人が残した教訓を生かすも殺すも我々次第。過ちを繰り返さないため過去と向き合う契機になれば」と説く。
軍機単体の構図が多い中、戦艦大和と護衛の零戦を描いた1枚が目を引く。山下さんは「大戦末期の日本を象徴する作品。戦後も(絵の)ライフワークで戦争と向き合った加納さんの思いにふれて」と呼びかけた。
開館時間は午前9時~午後5時。休館は毎週月曜(祝日の場合、翌日が休み)。常設展の観覧料(一般500円など)で企画展も鑑賞可。詳しくは同館(029・891・3344)。【鈴木美穂】
予科練
「海軍飛行予科練習生」と、その制度の略称。1930年に横須賀で生まれ、39年に霞ケ浦に移転、翌40年に土浦海軍航空隊として独立した。終戦までの15年間に約2万4000人が戦地に赴き、特攻隊としても出撃、約1万9000人が戦死した。
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