お地蔵さんの口元に大量のあんこを塗りたくり、最後は顔の下半分が真っ黒に――。福島県新地町で、こんなユニークな夏祭りがある。300年以上も続く小さな奇祭に、どんな由来があるのだろうか。
海と山に挟まれ、田んぼの広がる新地町小川地区。二羽渡(にわたり)神社の境内に、土台を含めると高さ約2メートルもの「あんこ地蔵」がまつられる。8月18日午前9時、法被を着た地区の役員12人が集まった。
地蔵の真っ赤な頭巾や前掛けを交換し、顔をタオルで拭き、あずまやを掃除したら準備完了。毎年あんこを塗っているため、既に顔の下半分は他の部位より黒ずんでいる。
ビニール手袋をはめた地区役員の女性3人が大量のあんこを手に取り、お化粧のように口回りから顔の下半分にぺたぺた塗っていく。最後はあんの詰まった大きなもちを足元に置き、役員一同で一礼した。
あんこ塗りは、江戸時代に同町小川に住んだ和尚「家山(かさん)」をしのぶ供養祭で、あんこは和尚の大好物だった。毎年、夕方の盆踊りとセットで行われ、家山のイラストが書かれたあんこ餅を地域の人らで味わう。
現地の案内板などによると、元禄年間(1688~1704年)ごろ、修行のため全国を旅した家山は自然に恵まれ穏やかな気候の小川村(当時)を気に入り定住。村人に信頼され、特に子どもの世話も熱心だったため「子安(こやす)家山坊」とも呼ばれた。晩年、地域の人々を救いたいとの思いから地蔵を建て、「毎年7月23日に供養をしてほしい」と言い残して亡くなった。
あんこを地蔵の顔に塗り始めた詳細な経緯は不明だが、あんこもちを作って半分を地蔵に供え、残りの半分を食べると子どもの湿疹が治るという評判が広がった――という逸話もある。盆踊りは昭和中期に新暦の8月開催となった。
小川地区出身で歴史に詳しい小野俊雄さん(73)によると、家山は三重や静岡で暮らした経験がある。関西で一般的な行事として、道端や街角の辻地蔵にお供えする「地蔵盆」が挙げられる。子どもが主役となり菓子や縁日を楽しむ行事で、小野さんは「子ども好きの家山は地蔵盆のイメージで供養祭をしてもらおうと考えたのでは」と推察する。
小野さんは5年ほど前、家山の足跡を調べ、静岡県伊豆市で生誕し、宮城県角田市の長泉寺の住職を務めたことなどを突き止めた。2019年に静岡の生家に手紙を送ると、300年以上も供養祭が続いていたことを知った末裔(まつえい)の一家が感激し、盆踊りに足を運んでくれた。
小野さんは「大きな存在感の地蔵が残ったうえに、その顔にあんこを塗るというユニークさが皆の心に残り、途切れず続く一因となったのでは」と笑顔で思いを巡らせる。
今年は事前に台風の接近が予想されたため、夕方の盆踊りは中止になった。家山は1695(元禄8)年に亡くなっており、没後330年に当たる来夏には、たっぷりのあんこでご満悦のお地蔵さんが、地域の老若男女が盆踊りに興じる様子を見守ってくれるはずだ。【尾崎修二】
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