街頭で支援を訴える被爆体験者訴訟の原告たち=長崎市で2024年9月5日午後5時20分、樋口岳大撮影

 長崎の爆心地の東西約7~12キロで原爆に遭いながら国が指定した援護区域外にいたとして被爆者と認められていない被爆体験者44人(うち4人が死亡)が長崎県と長崎市に被爆者健康手帳の交付などを求めた訴訟の判決が9日、長崎地裁(松永晋介裁判長)で言い渡される。原告はいずれも同種訴訟で2019年までに敗訴が確定し、再提訴した。その後の21年に、広島の援護区域外で「黒い雨」に遭った原告84人について広島高裁が被爆者と認めた判決が確定しており、広島での判決を踏まえて、長崎地裁がどう判断するかが注目される。

 国は長崎の爆心地の東西約7~12キロで原爆に遭った人たちのうち、被爆体験の精神的要因に基づく健康影響が認められる人を「被爆体験者」とし、02年から精神疾患などに限定した医療費助成を始めた。一方、原爆放射線による健康被害は認められないとして、被爆者手帳は交付していない。23年から医療費の助成対象に7種類のがんを加えたが、被爆者は医療費の自己負担が原則なく、健康障害などに応じて手当が支給されるのと比べると、格差がある。

被爆体験者訴訟の争点表

 今回の原告を含む約560人は07年以降、被爆者手帳の交付を求めて提訴し、2陣に分かれて争った。被爆者援護法1条3号が「被爆者」と定義する「身体に原爆放射線の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当すると訴えたが、「放射線による急性症状があったと推認できない」などとして、17年と19年に最高裁で敗訴が確定。原告の一部が18年以降、再提訴した。

 一方、広島原爆の投下後に黒い雨に遭ったとして、84人が被爆者手帳の交付を求めた訴訟では、広島地裁が20年7月に、広島高裁が21年7月に、いずれも原告全員を被爆者と認めた。広島高裁は「雨に直接打たれた者は無論のこと、雨に打たれていなくても空気中の放射性微粒子を吸引したり、混入した水を飲んだり、付着した野菜を摂取したりして体内に取り込むことで内部被ばくを受ける可能性があった」とした。国側は上告を断念して原告に手帳を交付し、22年4月から原告以外の黒い雨体験者についても救済を始めた。

 長崎地裁での訴訟では、広島高裁判決を踏まえ、被爆体験者の原告も、原爆投下後に灰や雨、燃えかすなどの放射性降下物に遭ったと主張。原爆投下から間もない時期に広範囲で残留放射線が検出されたことを示す米軍の報告書などを証拠提出し、「健康被害を受けた可能性が否定できず、被爆者援護法上の被爆者に該当する」と訴えている。

 これに対し、国の法定受託事務として手帳の交付を担っている被告の長崎県と長崎市は「原告が論拠として挙げる調査結果や意見書などは信頼性や正確性を欠く。原告が主張する被爆態様や科学的根拠などは(原告敗訴が確定した)先行訴訟時と有意な違いはなく、異なる判断をすべき事情は認められない」などと反論している。

 国は広島の黒い雨体験者の救済を始めた後も、長崎の被爆体験者については「降雨があった客観的な記録が見当たらない」として救済対象から除外した。長崎県と長崎市は訴訟では請求の棄却を求めるものの、国に対しては、広島と同様に被爆体験者も救済するよう求めている。

 8月9日の長崎原爆の日には歴代首相として初めて岸田文雄首相が岩永千代子原告団長(88)ら被爆体験者と面会し、「政府として早急に課題を合理的に解決できるよう、具体的な対応策の調整を」と武見敬三厚生労働相に指示した。判決の内容は国が検討している救済策にも影響を与える。【尾形有菜、樋口岳大】

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