岡山市北区のJR牧山駅から徒歩5分。岡山県発祥とされる「黄ニラ」の産地として知られる牟佐大久保地区には、約30世帯が暮らす。この地域を流れる岡山県の3大水系の一つ、旭川にかかる「潜水橋」は、地域にとって重要な生活道路になっている。
潜水橋とは、川の増水時に水没して流出を防ぐために考案された橋だ。流木などが引っかかって橋が壊れないように、欄干がないという特徴がある。高知県の四万十川や徳島県の吉野川のものがよく知られている。
牟佐大久保地区の潜水橋は、長さ約100メートル、幅約1・5メートル。13個ある鉄骨製の橋脚に、鉄板を取り付けたシンプルな構造だ。欄干はなく、橋の両側からワイヤをつないだ簡単な手すりがあるが、上流の旭川ダムの放流や梅雨など川が増水しやすい時期は住民が手すりを外す。川に落ちたときのために、橋のたもとには浮輪もおいてある。川の対岸にある牧山駅を通勤や通学で利用する地区の住民、新聞や郵便を配達する人たちが利用している。
地区の町内会長を務める山本俊夫さん(73)によると、橋ができたのは1978年だった。それまではJRの路線がある対岸に渡るには、約10キロ先にある橋を通るか、住民らが船頭を務める渡し船を利用していた。
しかし、川の流れが急な場所があって危険なため、地区の住民たちは岡山市に橋の建設を求めることにした。約3年にわたって陳情を続けた結果、念願の橋が完成するに至った。山本さんは「住民たちは便利になったと大喜びした。その喜びようは(88年に)瀬戸大橋が開通したとき以上だった」と振り返る。それ以降、橋は修理を重ねながらも、大きく壊れたり流されたりすることなく住民の生活を支えてきた。
同地区は初夏になるとたくさんの蛍が飛び交い、若手農家らが植えたヒマワリが黄色いじゅうたんのように広がる。黄ニラの栽培農家でヒマワリ畑の運営も担う山本浩貴さん(43)は、祖父が潜水橋の完成当時に町内会長を務めていた。「生まれた時から橋とともに育ってきた。これからもこの土地を多く人にPRしていきたい」と力を込めた。【今東理恵】
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