米坂線の復旧に向けて沿線の市民らが「希望の星」と注目するのが、2022年10月に豪雨災害から全線復旧した福島と新潟を結ぶJR只見線(135・2キロ)だ。11年7月の新潟・福島豪雨で被災し、一時は不通区間で廃線の危機もあったが、22年10月に復旧。今は週末を中心に多くの観光客や鉄道ファンでにぎわう。【神崎修一】
只見川や雄大な山々、のどかな農村の間を走る景観は“ローカル線の横綱”と評される。福島県によると、再開から1年間の沿線観光客数は約27万3800人で、再開通前より2割以上増加。経済波及効果は約6億1000万円と推計される。観光施設「只見町インフォメーションセンター」の担当者は「週末を中心に多くの観光客でにぎわっている。車ではなく電車を選ぶ人が増えた」と実感する。
復旧への道のりは簡単ではなかった。只見線は11年7月の新潟・福島豪雨で、福島県内の会津川口―只見間(27・6キロ)が被災した。米坂線と同じく復旧費や営業赤字が障壁になり、JR東日本からはバス転換の提案もあった。しかし地元は鉄路存続を強く望み、最終的には県など地元自治体が線路などを保有し、JR東が運行する「上下分離方式」を受け入れ、11年ぶりの再開が決まった。地元只見町の角田祐介観光係長(44)は「只見線は地域の宝。復旧のためには何でもやろうという地域の力も大きかった」と振り返る。
只見線地域コーディネーターを務める只見町の酒井治子さん(43)は情報発信に加えて、住民と行政、JR東とをつなぐ「橋渡し役」として、復旧に向け奔走した。酒井さんは「被災前は何も感慨はなかったが、被災後は『この地域から鉄道をなくしたくない』と多くの住民が感じたはず。鉄道ファンによる応援も力になった」と振り返る。
地域ぐるみで只見線を盛り上げる動きも活発だ。子どもたちが利用促進策などを話し合う「只見線こども会議」は23年9月に始まった。JRの観光列車「リゾートしらかみの橅(ぶな)編成を走らせたい」など未来を見据えたアイデアが次々と披露された。酒井さんは「地域の中から新しい世代が活動に参加してくれたのは大きい」と期待を寄せる。
関西大経済学部の宇都宮浄人(きよひと)教授(交通経済学)は「JRに丸投げでは鉄道の維持は無理だ。地域が支えていかなければならない。ただ地方は大都市圏に比べて税収が少なく、税収だけでは費用をまかなうとができない。そこは国がサポートしなければならない。山形と新潟を結ぶ米坂線は広域ネットワークとしての役割も考慮しないといけない」と指摘する。
宇都宮教授は第三セクター山形鉄道(長井市)フラワー長井線の取り組みに注目する。山形鉄道は市役所と一体となった新駅舎を設置したり、運行本数を維持したりと、厳しい経営の中でも利便性の確保に懸命だ。宇都宮教授は「さびたレールの上を1日数本の列車が来るだけでは駄目。鉄道は社会インフラ。しっかりと投資をし、利用客が使いやすいように維持していくことが必要だ」。ローカル線には地域の未来がかかっている。
上下分離方式
沿線自治体などが線路や駅舎など鉄道施設の「下」の部分を保有・管理し、鉄道会社が「上」の部分にあたる列車の運行を担う運営方式。運行と鉄道インフラの維持管理が分けられるため、鉄道会社の負担は軽くなる。被災したローカル線の再開後の運営方法として提案されることがあり、JR只見線のほか、2020年の豪雨災害で被災したJR肥薩線(熊本)でも採用が決まった。自治体にとっては新たな財政負担が生じるため、協議に数年を費やすケースもある。
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