第二次世界大戦中の1944年8月に沖縄を出た学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の攻撃で沈没し、児童ら1400人以上が亡くなってから22日で80年となった。那覇市の慰霊碑「小桜の塔」前で慰霊祭があり、出席した遺族ら約410人が冥福を祈った。
沖縄県の玉城デニー知事や自見英子沖縄・北方担当相も参列し、汽笛の音に合わせて黙とうした。主催する公益財団法人対馬丸記念会の理事長、高良政勝さん(84)は、対馬丸に一緒に乗った両親ときょうだいの計9人を亡くした生存者として、追悼のことばで「悲惨な出来事を二度と繰り返してはいけない。世界から報復の連鎖が断ち切られることを願う」と訴えた。
対馬丸は44年8月21日夜、児童や市民ら約1800人を乗せて那覇を出港。長崎に向けて航行中の翌22日夜、鹿児島県・悪石島沖で魚雷攻撃を受け、深さ約870メートルの海底に沈んだ。船体は97年の水中調査で発見されており、政府は戦後80年の事業として再調査する方針。那覇市の阿嘉宗徹(あか・そうてつ)さん(94)は、当時11歳ほどの妹幸子さんを亡くしたが、遺骨や遺品は見つかっていない。再調査に期待を込め、「もし見つかれば、戦争の悲惨さを伝えることに役立てたい」と語った。【比嘉洋】
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