日本を離れる前、軍馬が最後の水を飲んだとされる「出征軍馬の水飲み場」=北九州市門司区西海岸で2024年8月1日午前10時43分、反田昌平撮影

 第二次世界大戦時などに、大陸や東南アジアへ出征する兵士が日本に別れを告げた最後の地として知られる北九州市門司区の門司港。ここは兵士だけでなく、移動や荷物の運搬などに欠かせない軍馬を戦地に運ぶ拠点でもあった。門司港の西海岸地区には馬たちが喉を潤した「出征軍馬の水飲み場」が残る。

 コンクリート製の半円形をした水飲み場は、両手で抱えられないほどの大きさだ。金属製の蛇口が付き、「門司市 畜産組合馬水飲場」という文字が刻まれている。

門司港から輸送船に積まれる軍馬=1925年12月撮影(毎日新聞データベースより)

 全国各地から徴発された農耕馬などが門司港に集まった。門司の歴史にくわしい門司郷土会幹事の内山昌子さん(84)によると、戦時中は港近くに軍専用の駅があり、兵員や物資がそこで降ろされた。駅の近くには馬が収容された施設もあり、水飲み場は10基並んでいたとされる。戦後、東に200メートルほど離れた今の場所に移設されたという。輸送船で大陸などの戦地に送り込まれた馬は100万頭に及ぶとされる。

 JR門司港駅や旧門司税関、旧門司三井倶楽部など歴史を感じさせる建物が並ぶ門司港レトロ地区は、海外や全国からの観光客でにぎわう。一方、軍馬の水飲み場や、かつて多くの兵隊を送り出した国際貨客ターミナル「旧大連航路上屋」=1929(昭和4)年完成=を訪れる人は少ない。

 内山さんは「多くの軍馬がここから戦地へ赴き、二度と帰ることはなかった。戦争は人だけでなく、たくさんの馬が犠牲になったことも忘れてはいけない」と語った。【反田昌平】

出征軍馬の水飲み場

出征軍馬の水飲み場地図

 北九州市門司区西海岸1の4付近。門司港と山口県下関市を結ぶ関門連絡船の乗り場近くにある。見学自由。

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