「皆さんは今の世の中が平和だと思いますか? 私は平和ではないと思います」。愛媛・今治空襲から79年を迎えた6日、今治市立吹揚(ふきあげ)小6年、清重和(きよしげのどか)さん(11)は同市で開かれた追悼式典で作文「平和な世の中にするために」を朗読し、戦争を許さぬ強い気持ちで日々を過ごすことを誓った。
清重さんは5月の修学旅行で広島の平和記念資料館を訪れ、展示された被爆後のガラス瓶に触ってみた。瓶は熱で溶けて3センチほどへこみ、ゆがんでいた。「異常なほど高温だったと考えると恐ろしさがこみ上げてきました」。また、学校での平和学習で、今治市でも1945年4、5、8月の3度の空襲で計575人以上の犠牲が出たことを学んだ。朗読で「私たちの命は一つ。だからこそ自分を大切に、そして周りの人も大切にしなければなりません」と述べ、過去の悲しい出来事を次の世代につなぐことの大切さを訴えた。
式典を主催した市民団体「今治市の戦災を記録する会」などは会場で、終戦直後の45年9月10日に米軍が撮影した写真2点をパネル展示した。同会の新居田大作会長(89)は「市とともに今後の平和教育に生かしていきたい」と話す。写真は、米軍資料を掘り起こして空襲を克明に調査する「空襲・戦災を記録する会」の工藤洋三事務局長(74)=山口県周南市=が4月に米国立公文書館で発見した大判ネガ15枚の一部。一部の鉄骨建築を残し、ほぼ焼け野原となった今治市中心部を高さ約250メートルから撮影し、建物の状態、焼け残った防空壕(ごう)なども詳しく分かる。【松倉展人】
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