長崎原爆投下後の放射性降下物について、厚生労働省が6月に公表した被爆体験記の調査結果を毎日新聞が精査したところ、雨や灰を経験したとの記述32件が爆心地から東に約20キロ離れた当時の長崎県諫早市中心部に集中していることが判明した。国は被爆者健康手帳を交付する援護区域を長崎市の爆心地から東西約7キロ、南北約12キロに限定している。専門家は「同じような場所で多数の体験記述がある。雨だけでなく、放射性微粒子を含んだ灰も内部被ばくによる健康被害を発生させる可能性があり、国は区域外での状況を更に詳しく調べるべきだ」と指摘する。
2021年7月の広島高裁判決は広島原爆での「黒い雨」体験者84人について、「放射性微粒子の吸引や、混入した水、付着した野菜の摂取で、健康被害を受ける可能性があった」として、爆心地から約30キロ離れた場所にいた人も含めて被爆者と認めた。これを受け、国は従来の広島の援護区域の外で雨に遭った人に被爆者手帳の交付を始めた。
一方、長崎では爆心地の東西約7~12キロにいた人について、国が02年から「被爆体験者」として精神疾患と関連症状の医療費を助成している。被爆体験者は「自分たちも放射性微粒子を体内に取り込み、健康影響を受けた可能性が否定できない」として手帳の交付も求めているが、国は「降雨の客観的な記録がない」などとして被爆者とは認めていない。
救済対象の拡大を求める長崎県と長崎市の要望を受け、厚労省は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(長崎市)などが所蔵する体験記を調査。被爆地域外での救護などの体験を記した3744件の中に、雨についての記述が41件、灰など飛散物が159件見つかったと公表した。当時の市町村別では、雨、飛散物ともに諫早市での体験が最も多く、雨のうち17件、飛散物のうち60件を占めた。
毎日新聞は6~7月、大矢正人・長崎総合科学大名誉教授(物理学)らの協力を得て同館などで体験記を閲覧し、降雨と飛散物の記述全200件を確認した。その結果、諫早市での記述77件のうち、少なくとも32件(雨12件、飛散物20件)は市中心部に集中。内訳は県立農学校で13件、諫早駅周辺で11件などで、原爆投下時の年齢(不明者を除く)は10~32歳だった。
県立農学校にいた当時16歳の男性は、1995年度に寄せた体験記に「(爆音がして)1、2時間経過した頃だったと思うが、晴天だった空が真っ黒くなり、にわかに大雨が降ってその雨に黒いものが混じっていた」と書いていた。大村第21海軍航空廠(しょう)共済病院諫早分院に勤務していた当時19歳の女性も95年度の体験記に「焼けた紙くずやボロ布のようなものがどんどん飛んでくる。雨が降るから医療品を部屋に入れた」とつづった。
厚労省はこうした記述について「データとして信頼性に乏しい」「記憶の修飾がなされている可能性がある」などとした専門家の意見を基に「降雨などを客観的事実と捉えることはできなかった」と結論付けた。
一方、長崎原爆の放射性降下物に詳しい大矢名誉教授は「記述は具体的で信用でき、これまで議論されてきた12キロ圏内よりも広範囲で雨や灰が降ったことを示している。国は事実を直視し、資料を更に集めて原爆被害の実相を明らかにすべきだ」と話している。【尾形有菜、樋口岳大、安徳祐】
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