戦前、旧陸軍・習志野騎兵旅団に酒類などを納める御用商人だった張替酒店(千葉県習志野市大久保)から、凱旋(がいせん)記念の旗が発見された。現店主の祖父・張替兵四郎さん(故人)が日中戦争に従軍し、帰郷した際に作られたとみられる。戦地に送り出す際に掲げたとみられる出征旗も見つかり、専門家は「凱旋旗が見つかるのは珍しい。家族や地域が無事に帰郷した兵士を誇らしく感じていたことが伝わってくる」と話している。
1905年創業の同店は今年7月、約500メートル離れた京成大久保駅前に移転。その際、郷土史研究会「習志野の歴史を語る会」が所蔵品を整理したところ、旧店舗の母屋にあった桐(きり)だんすの中から凱旋旗を見つけた。現店主の正信さん(55)もその存在を知らなかったという。
兵四郎さんは1911年生まれ。同店の創業者、一郎さんの長女リエさんと結婚し、婿養子となった。兵四郎さんの軍歴を記した「陸軍戦時名簿」によると、37年7月に陸軍に召集され、野砲兵として中国に渡った。
郷土史と軍隊の研究をしている山武市歴史民俗資料館の稲見英輔館長によると、兵四郎さんは同年に現在の内モンゴル自治区で日本軍が勝利した「チャハル作戦」に従軍した可能性が高いという。翌年3月に帰国し、召集解除されている。稲見館長は「当時は日中間で全面戦争に至っておらず、作戦終了とともに帰ってくることができたのだろう」と推測する。
凱旋旗はこの時に作られたとみられ、3枚残されている。1枚の大きさは縦約4メートル、横約65センチ。「祝凱旋 陸軍砲兵少尉 張替兵四郎君」「歓迎 張替兵四郎君」などと書かれている。一方、出征旗は縦約1・4メートルの旗が2枚見つかった。この他、出征時に神社で執り行われたとみられる壮行会を撮影した写真や戦地からリエさんに送られた軍事郵便なども保管されていた。
稲見館長は「戦後80年近くがたち、個人宅でこれだけの資料が残されていたのは奇跡に近いのでは。郷土の人がどう出征し、戦地から戻ってきたのかが分かる貴重な資料だ」と話している。【小林多美子】
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