2階建ての下村時計店は、1階が押しつぶされ、アーチ窓の2階と時計台の残骸が残った。手前に男性と女性の姿が見える。右端に見えるのは袋町国民学校=広島市平田屋町(現広島市中区本通)で1945年9月11日ごろ、山上圓太郎撮影

 広島市と毎日新聞社など報道機関6社の計7者は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶(世界記憶遺産)」への登録を目指して申請した広島原爆の記録写真と動画を紹介するアーカイブサイト(日・英両語)を共同製作し、31日から公開を始めた。米軍が原爆を投下した1945年8月6日~同年末に報道機関や軍関係者、市民らが撮影した写真1526点と動画2点。巨大なきのこ雲や破壊された街、大やけどや放射線による爪痕など人体への被害を伝えている。

 登録申請した「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」を構成する資料。サイトは撮影地域(14ブロック)や撮影時期(投下当日、投下翌日~1カ月、1カ月後~45年末)、撮影者(27人と1機関)に分類し、キーワード検索もできる。毎日新聞社は写真88枚を提供した。

本通り・播磨屋町(現在の本通3~4番地)付近から東に向かって。左端から商工組合中央金庫広島支所、福屋旧館、福屋新館、中国新聞社、大林組広島支店が見える。手前に倒れているのは、本通り沿いに立ち並んでいた鉄製の電柱の一つ=1945年8月9日、国平幸男撮影

 ユネスコへの共同申請者は、広島市と毎日新聞社のほか、中国新聞社、朝日新聞社、中国放送、NHKの計6者。サイトの製作にはさらに、申請資料に含まれる旧同盟通信社撮影分を所有してきた共同通信社が加わった。ユネスコは登録の可否を2025年春に決める見通し。

 製作した7者は「市民の平和活動や平和学習、学術研究などに生かされ、原爆体験の次世代継承や核兵器廃絶への道しるべとなることを願う」とする共同コメントを出した。【宇城昇】

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