旅館の風情によく似合う和傘「伊勢山田傘」の試作品=三重県鳥羽市浦村町のサン浦島悠季の里で2024年6月11日、小沢由紀撮影

 江戸時代から三重県伊勢市内の旧山田地区で製造され、40年ほど前に途絶えた和傘「伊勢山田傘」の復活に取り組む「美鈴洋傘店」(伊勢市浦口1)の鈴木俊宏さん(40)に「救世主」が現れた。同県鳥羽市温泉振興会(吉川勝也会長)が復活への支援を申し出た。インバウンド旅行客の誘致に力を入れる鳥羽市で、伊勢山田傘を出迎え時などに用い、和風旅館の風情を醸す演出に活用する計画。伊勢山田傘の復活が起爆剤になるか。

 伊勢山田傘は昭和初期にかけて地域の主要産業の一つとして栄え、「日常には番傘。結納の『迎え傘』、子守に使う『絵日傘』など、この地域の暮らしに欠かせなかった」と最盛期の大正時代には約100軒の業者があったと言われる。だが、洋傘の普及に伴って需要が急激に減少し、技法も伝統も1983年ごろには途絶えてしまった。

 鈴木さんの曽祖父の代から続く「美鈴洋傘店」でも、かつて伊勢山田傘を製造しており、当時の道具が手元に残る。鈴木さんは先祖が携わった伝統を復活させたいと、2019年から資料や道具などの収集を手始めに地道な調査を続けている。奇跡的にかつて伊勢山田傘を作っていた90歳を超える職人に出会い、製造工程や技法を教わることができ、製造工程が明確になった。鈴木さん自ら、骨となる竹を組み、傘の形に湾曲させ、柄をつけて和紙を貼り、柿渋とえごま油を塗って乾燥させ--と伝統の技法を模索しながら、製作に励んでいる。

 3月には鳥羽市の「鳥羽大庄屋かどや」で伊勢山田傘を紹介する展示会を開催。鈴木さんが作った番傘や輪郭線がくっきりと鮮やかな色づかいが特徴の絵日傘など8点を展示した。

 令和の時代に現れた伊勢山田傘を見て、感銘を受けたのが、鳥羽市温泉振興会の事業推進アドバイザーを務める山下正樹さんだった。「旅館の風情にぴったり合う。鳥羽温泉郷ならではの魅力UPにつながるのでは」と早速、振興会に事業化を提案。総会で同意を得て予算化を実現した。

 支援期間は6月から3年間で、来年7月までに10本の完成を目指す。鈴木さんは「こんなありがたい形で、活動を応援してもらえるなんて感謝。伊勢山田傘ならではの伝統を踏まえつつ、現代に応じた製法も活用し、期待に応えられるように頑張ります」と意気込んでいる。【小沢由紀】

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