緑や赤の光を四方に放ちながら宙に浮かぶ独特の形状から「UFO型」として親しまれてきた信号機の国内最後の3基が、老朽化のため7月末に仙台市の交差点から撤去される。1970年代に愛知県のメーカーが開発したもので、かつては同県や宮城県などに計十数基あった。長年慣れ親しんだ地域住民は別れを惜しむが、実はその“遺伝子”は、故郷の名古屋市で今も生きている。
UFO型信号機は正式名称を「懸垂型交通信号機」という。歩行者用と車両用の4方向の信号機が一体化し、交差点の中央で上部からつり下げられている。一般的な信号機では設置に計8本の支柱が必要なところが1本で済み、狭い交差点に設置できるのが特長だ。
製造した名古屋電機工業(愛知県あま市)の社史によると、交通事故の死者数が年間1万人前後で推移していた70年代、死者数が特に多かった愛知県警が同社に開発を依頼した。
「やりましょう。すぐに取りかかります」。依頼を受けた社員は即答。欧州視察で目にしたワイヤでつり下げる方式の信号機を参考に、設計担当者が構想を紙にスケッチした。こうして2週間でUFO型が考案された。
75年9月、UFO型は名古屋市中区大須の交差点で初めて採用された。大須観音の参拝者や商店街の買い物客でにぎわう場所だ。学生時代から大須に通い続ける愛知県日進市の中学校教員、奥田真也さん(46)は「待ち合わせで『大須の変な信号の場所』と言えば通じるほど、見慣れた存在だった」と話す。
その後は少なくとも宮城県で十数基、群馬県で2基が設置され、地域の安全を見守った。
しかし、同社が80年代半ばに信号機の製造から撤退したことや信号機のLED(発光ダイオード)化が進んだことなどから、古くなったUFO型は徐々に一般的な信号機に置き換えられた。仙台市内に残る3基が最後とみられ、これも7月末での撤去が決まった。
今年7月21日、同市若林区にあるそのうちの1基を見に行くと、住民らがカメラを向けていた。最後のUFO型を自転車で巡っている同市宮城野区の公務員男性(54)は「以前は近所にもあった。なくなるのはさみしい」と、ずっと見つめていた。
だが実は、UFO型の“遺伝子”は、1号機が設置された名古屋・大須の交差点で受け継がれている。2010年に設置された後継機はLEDに進化しながらも、1基で4方向の歩行者と車をさばくというUFO型の機能はそのままなのだ。
愛知県警によると、この後継機は一般的な信号機を組み合わせて作られた。そこまでしてUFO型に似せたのは「地中に上下水管などが埋設されており、交差点の四隅に支柱を設置するスペースを確保できなかったため」だ。
UFO型の“遺伝子”が受け継がれていることについて、名古屋電機工業の担当者は「設置の制約の中で見やすさを含めてとことん考えられた形状のものが、時代が移りLED化の波においても継承されていることは、諸先輩方が残してくれたノウハウとして誇りに思う」と話す。【小川祐希】
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