池上曽根遺跡にある復元された大型建物=大阪府和泉市で2024年7月10日午前10時58分、梅田麻衣子撮影

 弥生時代の集落跡、池上曽根遺跡(大阪府和泉市、泉大津市)で見つかった大型建物の柱材を再調査したところ、建物の推定築造年代である紀元前50年代よりはるかに古い紀元前700年代を示す木材が含まれていたことが分かった。10日に和泉市教委などの研究グループが発表した。これだけ年代幅のある材が同じ建物に使われる例は国内で他になく、弥生人の木材利用法を巡って新たな謎が浮かび上がった格好だ。

 全国有数の規模を持つ環濠(かんごう)集落跡である池上曽根遺跡では1995年、弥生時代中期の大型建物跡が見つかった。26本あった柱のうち18本の柱材が残っており、中でも状態の良かったヒノキの5本を「年輪年代法」で調査したところ、1本が「紀元前52年」に伐採あるいは枯死したことが96年に判明。建物もこの頃に建てられたことが分かり、出土した土器などから当初1世紀前半と考えられた年代が100年近くさかのぼると注目を集めた。

池上曽根遺跡で見つかった大型建物の柱。左端は「紀元前52年」と判定された柱のレプリカ=大阪府和泉市で2024年7月10日午前10時33分、梅田麻衣子撮影

 年輪年代法の精度が上がったことなどから、2022年に奈良文化財研究所の光谷拓実・名誉研究員が5本の材を再調査。その結果、紀元前52年の柱以外の4本が、紀元前3~8世紀、もっとも古いもので「紀元前782年」との結果が得られた。これら4本は伐採年を知るために必要な樹木の表面付近が残っていないため正確な時期は分からないものの、光谷さんによると、同じ建物でこれだけ年代幅のある結果が出た前例はないという。正確性を期すため23~24年に国立歴史民俗博物館(歴博)などが別の技術を使った「酸素同位体比年輪年代法」で調査したが、同様の結果になった。

 和泉市教委などによると、再調査でも紀元前52年の柱の年代は変わらなかったため、大型建物が建てられた時期はこれまでの想定と変わらない。同市教委文化遺産活用課の千葉太朗・課長補佐は「別の建物からの転用材、あるいは外側が大きく削られた材が使われたなどさまざまな可能性が考えられ、新たな課題が与えられた」と話す。

池上曽根遺跡

 歴博の箱崎真隆准教授は「埋没林」を使った可能性を指摘。土砂崩れなど何らかの地形変化によって樹木が地中に埋まった後、雨や川によって土砂が流され地表に出てきたところを材木として利用されたケースだ。ただ遺跡の付近に埋没林が生まれやすい地形はなく、どこから運んだかなど謎は残るという。これまで調査していない柱の調査も進めるといい、箱崎さんは「『紀元前52年』を示した材も埋没林だったとすれば遺跡の年代観にも影響を及ぼす可能性があり、広い視野で再検討する必要がある」と話す。

 今回の調査の詳細は考古学専門誌「古代学研究」第240号に掲載されている。【花澤茂人、野原寛史】

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