■復興願い みこし壊す「あばれ祭」

北陸朝日放送 灘村満理ディレクター
「今、神輿が川に落とされました!」

 神輿(みこし)を川に投げ入れ…火あぶりに…。“あばれる”事で、神様が喜ぶと信じられています。

 能登町宇出津で、復興ののろしを挙げる「あばれ祭」が行われました。

■「あばれ祭」開催めぐり人々の想い

 最大深度7を観測した能登半島地震。町内では18人が犠牲になりました。道路は変形し、倒壊した家屋はそのままに…。今も、地震の爪痕が色濃く残っています。そんななか…。

北陸朝日放送 山本哲也記者
「能登の復興を願ってきょうから開催されるあばれ祭りを前にこちらの大屋根広場が完成しました」

 工事が一時中断するも、祭りの開催直前に完成しました。キリコと呼ばれる灯籠(とうろう)を担ぐ祭りは、夏から秋ごろにかけて能登の各地で行われます。

 その先陣を切ったのが、悪疫退散を願い江戸時代から続く、奇祭「あばれ祭」です。

 しかし、開催までには、様々な困難がありました。

川端製材所 川端宏二代表
「ちょっと今更地になっているんですけど、ここにはキリコの材料を保管していたので…」

 キリコの木材を扱う製材所が被災。倉庫が全壊し、加工する機械も壊れ、開催を断念することも考えました。

 そんななか、立ち上がったのは町の人たちです。復旧に必要な資金をクラウドファンディングで募りました。

川端製材所 川端宏二代表
「この町の人は祭りの日が元旦みたいなもの。自分にとっても、この祭りで元気をもらえる。なりわいを通し皆さんに恩返ししたい」

 一方、担ぎ手不足などの理由から参加を断念する町内会もありました。

 また、観光客の受け入れができないため、今回は「復興祈願」の祭りとなりました。

 この時を心待ちにしていた住民がいました。

 裏方として支える、森進之助さんです。9年前、この町の豊かな自然に引かれ、金沢から、1家6人で移住しました。

能登町定住促進協議会 森進之助事務局次長
「今年はキリコに触れられない。忌中だから触れられない」

 震災で家が倒壊。森さんは下敷きになり骨盤骨折の大けがを負いました。その時、次男を亡くしました…。

移住して9年 森進之助さん(43)
「『みんなそんなに騒いじゃだめ』って言ってくださる方もいるんですけど、子どもたちも本当に好きだったし、存分にやっていただきたいなというのが本心ですね。それを見たいです」

 夜になると「大屋根広場」の前には、高さ7メートルほどのキリコが集結。火の粉が降りそそぐ巨大なたいまつの下をキリコが乱舞しました。

移住して9年 森進之助さん(43)
「すごく力強くてすごく楽しいすごいいすてきですね、すごいかっこいいと思いますし地震とか忘れさせてくれるので、なんか…うれしいです。こういう所から始まっていくんだなというのは、見てて思いますね」

■震災半年…今も続くビニールハウスでの生活

 深刻な被害が出た輪島市では、復興の遅れが顕著です。保靖夫さん(70)は震災から半年経った今も厳しい生活を強いられています。

保靖夫さん(70)
「このビニールハウスで食事を取り、寝る時はあのインスタントハウスという感じです」
「(Q.失礼します。外よりも蒸し暑いですね)うん少しね…」

 比較的涼しかった6日でもハウス内は28℃、湿度は80%に達していました。

 保さんは1月に仮設住宅を申し込みましたが、入居のめどは立っていません。

保靖夫さん(70)
「いつまで頑張ればいいのか、いつまでこの状態なのか分からない」

 さらに保さんを苦しめるのが…。

保靖夫さん(70)
「そこに見えるのが、奥が家で、手前の斜めになっているのが納屋。早く片づけてもらえれば…逆に言うたら(全壊した自宅を)見るのも辛いっちゅうか…うん」

■進まぬ護岸の工事 「旅館」再開できず

取材ディレクター 瀧尾春紀
「道路にはところどころこのような応急処置が施されていますが、まだつまずいてしまうほど波打っているところも多く見られます。状況は発災直後とほとんど変わっていません」

和倉温泉 住民
「変わってないですよ全然直してないもん」
「この状態がもう日常化になってしまって」

 半年前、番組が取材した和倉温泉「美湾荘」には建物の真ん中に大きな亀裂が。

「美湾荘」若女将 多田直未さん(1月取材)
「ここ建物と建物の継ぎ目なんですね」
「(Q.これはあちらに行けるんですか?)一応行けますよ。足元気を付けていただければ」
「(Q.あ、もう下の階が見えているような状況ですね)」

 半年たっても、建物の亀裂はそのまま…和倉温泉の魅力は「海の上に宿泊している」と錯覚するほどの景観ですが、およそ20の旅館ほとんどで、観光客の受け入れができない状態です。

「美湾荘」若女将 多田直未さん
「護岸が直角に建ってたものが傾いてこの辺りは海の底に(護岸は)沈んでしまっていました。応急で土のうを置いてもらってこれ以上浸食されないようにしてもらってます。和倉温泉の護岸は全部何キロもこういう状態で…」
「(Q.この間来た時より(海が陸側に)来てる気がする)そうそう、そうなんですよ。地盤が動いているっていうんですか 植木とかも海に持って行かれるような格好で…」

 温泉の安全であり復興の要となる護岸工事はほとんど進んでいません。七尾市全体の公費解体も、完了まで至ったのはおよそ3%です。

 観光客が戻らない今、美湾荘の収入源は工事関係者の宿泊です 

 しかし公費解体の遅れにより、4月5月には毎日100人以上だった工事関係者の宿泊予約が今月は1日10人にも届かず、旅館の売り上げは激減。

 その売り上げの大部分は、従業員の雇用に充てられています。しかし、その雇用もあと1年維持できるか、その瀬戸際です。

「美湾荘」若女将 多田直未さん
「今、なお従業員の皆さんは出社できないといいますかですね、自宅待機のようなことが続いておりまして、会社は給与を支払っている状態なんですが、そこに対して雇用調整助成金、それがいったん10月で、終わりということになっています。復旧には和倉温泉、おそらく2〜3年は軽く皆さんかかりますので、(雇用調整助成金が)10月で止まってしまったら、1年やっていける(旅館)っていうところはもうないと思います」

 和倉温泉の若手経営者の間では、温泉の魅力を最大限に生かした復興ビジョンも議論が進められています。

「美湾荘」若女将 多田直未さん
「これから新しく和倉温泉を作っていかなきゃいけない。(和倉温泉は)朝日が海から上がって、で、また夕日が海に沈むの見られるんです。それを利用して、夕方と朝と両方と違う場所で街を巡って楽しんでいただくような仕掛けとか安全な観光地、防災に強い観光地を作ろうということで、皆さんで考えて色々と話し合っています」

(「サンデーLIVE!!」2024年7月7日放送分より)

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