サケを捕り、神に感謝して暮らした先祖の権利を取り戻そう――。北海道浦幌町のアイヌ民族団体が、河川でのサケ捕獲は先住民族が持つ「先住権」に当たるとして、法などで禁止されないことの確認を国と道に求めた訴訟の判決が18日、札幌地裁で言い渡される。アイヌ民族が先住権の確認を求める初めての訴訟が動き始めたのは2020年。きっかけは、サケ漁に使う2本のあみ針だった。
「俺たちが漁業で使うものと同じじゃないか」。17年、先祖の遺骨とともにあった副葬品の中に、サケ漁の網を縫うあみ針「アパリ」を見つけたとき、浦幌町のアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」の会員たちは驚き、喜んだ。
会長代行で漁師の差間啓全(ひろまさ)さん(57)は「アパリの呼称は知らなくても、現代の網針(あばり)の原型であると一目で分かった」と振り返る。川でサケを捕り、暮らしていた先祖の営みが、自分たちと地続きなのだと実感した瞬間だった。
アパリや他の副葬品とともに、17年に北海道大から浦幌町のアイヌ民族の元に返還された遺骨は約70体。1934年、北海道大の研究者が墓地を掘り起こして持ち去ったものだった。
2012年以降、アイヌ遺骨の返還を求める訴訟が相次ぎ、ラポロアイヌネイションの前身・浦幌アイヌ協会も14年に北海道大を提訴。17年に和解し、返還が実現した。
遺骨や副葬品を自分たちの手で慰霊したことで、会員たちの中で「アイヌとしての権利を取り戻したい」という思いが膨らんだ。先祖のアパリは、そんな会員たちの背中を押した。
かつてアイヌ民族が行っていたサケ漁は、現在は河川や湖では原則として認められていない。法律で規制された、自由に川でサケを捕る権利を回復させ、「アイヌ集団に固有の権利」を認めてもらおうと動き始めた。
ラポロアイヌネイションは20年、サケ漁を行う権利の確認を国と道に求めて提訴。この年、法律にのっとって伝統儀礼として川でサケを捕る「特別採捕」と、サケを迎える儀式「アシリチェプノミ」を始めた。だが、浦幌町のアイヌ民族の文化は断たれており、会員には伝統的な漁や儀式の経験がなく、用具も一切なかった。
「本当は、先輩から生活の中で直接受け継ぐもの。私たちはそれができなかった分、手探りで取り戻すしかなかった」と差間さん。足りない道具は他地域のアイヌ団体に借りながら、手編みのゴザ、手おのでくりぬいた丸木舟などを一つ一つそろえた。会員たちは漁師としての仕事の傍ら、寝る間を削って作業に取り組んだ。
判決を控えた4月10日、差間さんらはサケの稚魚を生けすに放流する業務に取りかかっていた。「毎年恒例の会社の仕事だが、アイヌとして川を遡上(そじょう)するサケを捕るときの資源量を守ることにもなる」。自分たちの暮らしとアイヌ民族の伝統のつながりを肌で感じながら、権利を取り戻す歩みを続ける。
アイヌ民族の先住権巡る初の司法判断
先住権は、先住民族が伝統的に所有する土地や資源などに対する権利で、2007年の国連総会で採択された「先住民族権利宣言」で明記されている。ただ、日本で19年に施行されたアイヌ施策推進法は、アイヌ民族を先住民族と認める一方、先住権には触れていない。
今回の訴訟で原告側は、浦幌十勝川流域のコタン(集落)が漁業権を継承してきた歴史から、その子孫の集団が権利を引き継ぐと主張。河口から上流4キロまでの範囲でサケの刺し網漁をする権利を求めている。
一方、国、道側は、河川や湖でのサケ漁を禁止する水産資源保護法などの現行法について、「サケ資源の枯渇を避けるために必要な規則」だと反論している。
アイヌ民族の漁業権に関する歴史の認否も論点となった。原告側は、アイヌ民族が江戸時代以前に独占的な漁業権を有し、その権利が明治以降に不当に奪われたとして、経緯について認識を示すよう求めた続けたが、国、道側は一貫して認否を避けた。
原告弁護団によると、カナダやフィンランドでは憲法で先住権が保障されるなど、先住民族の伝統的な漁業や狩猟の権利を認める考えは、世界的に広まっているという。こうした流れの中でアイヌ民族の先住権を巡る初の司法判断に注目が集まる。【後藤佳怜】
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