旧優生保護法下で不妊手術を強制されたとして被害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審で、最高裁大法廷は3日、判決を言い渡します。1、2審で違憲と認定されている旧法にはどんな問題点があり、国は適切に救済してきたのでしょうか。
なるほドリ 被害者が裁判を起こした旧優生保護法ってどんな法律だったの?
記者 遺伝する病気や障害がある人に対して、本人の気持ちを確認しないで、強制的に子どもができないようにする手術を行うことを認めた法律でした。1948年に定められ、病気や障害のある子どもが生まれないようにすることが目的とされていました。96年に「母体保護法」という別の法律に変わり、強制的に子どもをできなくする手術を認めた規定はなくなりました。
Q どうしてそんな法律ができたの?
A 「優れた命」を後の時代に残そうという「優生学」が19世紀後半に欧州で主張され始めました。日本でも外国との戦争を経て、国を強くするための手段として「優生学」が広まりました。そして、40年に障害者らに子どもができないようにする手術を認める「国民優生法」ができたのです。戦後、それが「優生保護法」として引き継がれました。
Q 「国民優生法」の時と何か変わったの?
A 法律の内容は似ていますが、国民優生法の時に実施された手術は、本人や親族の同意が重視されていました。ところが、終戦後の人口急増に直面していた国は、優生保護法の施行後、手術時に障害者らの体を縛ることも許し、強制的な手術が加速しました。48年間で2万4993件の手術が行われ、このうち1万6475件が本人の同意がないものでした。
Q 国はすぐに謝ったの?
A いいえ。「手術は合法的になされた」と言って、補償にも否定的でした。事態が動いたのは2018年に被害者が裁判を起こしてからです。19年に手術を受けた人に320万円の一時金を支給する法律が作られました。ただ、被害者側は「国は十分に謝罪しておらず一時金も少ない」として裁判が続いてきました。回答・巽賢司(社会部東京グループ)
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