平城京跡(奈良市)で発掘された奈良時代の木簡群から、イカや魚の干物、ナシなどの荷札が確認されたと奈良文化財研究所(奈文研)が2日、発表した。いずれも聖武天皇(701~756年)即位後の宮中祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」の供え物とみられる。平安時代の法典「延喜式」にもこれらの品が供え物として定められており、大嘗祭の様式が奈良時代初期にまでさかのぼる可能性がある。
大嘗祭は天皇の即位後初めての新嘗祭(にいなめさい)で、飛鳥時代の天武天皇から続くとされる重要な儀式。五穀豊穣(ほうじょう)や国家安寧を祈って穀物や酒などを神前に供え、天皇自らも口にするとされる。延喜式には、供え物の種類と数量、飾り方が細かく定められているが、これらの規定の起源は分かっていない。
奈文研は3月、平城京跡の土中からまとまって見つかった約1000点の木簡片から「大嘗」や聖武天皇の即位した「神亀(じんき)元年」の文字を確認したと発表。今回は回収した土から、さらに1500点以上の木簡片を発見した。形の残っている荷札などは約180点に上り、解読したところ、神への供え物として定められた魚介類や果物、餅などの品名と一致したという。
木簡がいずれも一斉に廃棄されたと考えられることから、724年11月23日にあった聖武天皇の大嘗祭のために集められた物資の荷札と結論づけた。
札に書かれた品の出荷地は3分の2が備中国(岡山県西部)に集中しており、当時あった9郡全てが確認された。備中以外の地域と特定できるのは数点で、1カ所から一つの国の札がこれほど集中して見つかるのは初めて。平安初期成立の「続日本紀」は、聖武天皇の大嘗祭で使う米の産地について備前(岡山県東部)、播磨(兵庫県西部)両国が選ばれたとしており、これまでこうした札がほとんど見つかっていない備中への傾斜の謎に関心が集まっている。
奈良大の渡辺晃宏教授(日本古代史)は「(産地が)1国に集中した荷札が1カ所からこんなに出てきたのは本当に驚き。種類も非常に豊富で、ナシなどはこれまでもほとんど例がない」と意義を強調し、「備中に集中しているのも極めて異例。(産地に)備前と播磨が選ばれたとした続日本紀の記述が間違っていた可能性も考えられるかもしれない」と話した。
「謎がますます深まった」
栄原永遠男・大阪市立大(現大阪公立大)名誉教授(日本古代史)も「大嘗祭に供え物を出す2国は毎回、互いに離れた地域から選ばれているが、聖武天皇の時だけ隣り合う2国(備前、播磨)が選ばれたのが不自然だった。今回、備前と播磨の荷札は見つかっておらず、備中の位置づけの謎がますます深まった」と説明する。【稲生陽】
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