たいまつの近くでキリコ(灯籠)が引き回される石川県能登町のあばれ祭=同町提供

 石川・能登半島の各地では毎夏、伝統行事として大きいものでは重さ約4トン、高さ15メートルを超える灯籠(とうろう)(キリコ)を引き回す「キリコ祭り」が催される。その皮切りは、能登町宇出津(うしつ)地区の「あばれ祭」。だが、町内では1月の地震で震度6強の揺れに襲われ、災害関連死7人を含む9人が死亡した。その中で今年の開催の検討が始まった。

 あばれ祭は、キリコ祭りの中でも異色だ。2日間あり、1日目には約40基のキリコが街中を巡行し、中心部に集結する。その広場では夜、高さ7メートルの複数のたいまつが燃やされ、キリコが周囲を乱舞し火の粉を浴びる。

たいまつの近くをキリコ(灯籠)が乱舞する石川県能登町のあばれ祭=同町提供

 2日目の夜には「神輿(みこし)渡御」がある。「チョーサ、チョーサ」の掛け声とともに2基の神輿はキリコを前後に従えて、町内の八坂神社へ。担ぎ手たちは町内を流れる梶川に神輿を投げ込んだり、水中にたたきつけて転がしたりする。

 「祭りには誇りを持っとる。観光目的ではなく、ご神事なんよ」

 あばれ祭について、祭礼委員長の新谷俊英さん(70)はそう語る。

 開催の検討をし始めたのは3月ごろ。当時、町内では300人以上の被災者が避難所での生活を強いられていた。住民が苦しんでいる中で、祭りをしてもいいのだろうか――。新谷さんは悩んだという。

 その時「祭りは氏神さまのため」という原点に立ち返った。すると、地震で苦しい思いをしている人がいるからこそ、やるべきだという結論に至った。

 実行委員会は、例年参加する宇出津地区の約40の町内会に参加について尋ねてみた。担ぎ手が、町から約90キロ離れた金沢市などに避難していていなくなっている4町内会以外は、参加する意向を示した。

 それを知って、新谷さんは「我々に流れる血としか言いようがない」と感じた。実行委は7月5、6日に例年通り開催することを決めた。

 2基の神輿は毎年壊れては修復されて、繰り返し使われている。6月末になってその作業も大詰めを迎えている。地元の大工、船本憲一さん(78)の工房には金箔(きんぱく)で豪華に装飾された、完成間近の神輿があった。

あばれ祭で担ぐ神輿を作る船本憲一さん=石川県能登町宇出津で2024年6月25日午後3時51分、安西李姫撮影

 船本さんは元日の夕方、家の外に様子を見に行った際に津波に見舞われ、流されないよう電柱につかまった。港近くの工房や自宅は床上1メートル近く浸水。木材を削る機械が壊れてしまい、2023年秋ごろから取り掛かっていた神輿作りを中断していた。それでも、他の業者に工具や機械を借りて、作業を進めてきた。

 「神輿を作っている今は、祭りの時に目の前で壊されるのが生きがいよ。暴れれば暴れるほど御利益がある」

 祭りの開催には反対意見もあった。だが、実行委が判断したことで、船本さんは「やるならばきちんと盛大に」と思っている。「神輿はめちゃくちゃに壊されても、次の年にはきれいに復元する。この町もそんなふうに復興してほしいと思いながら作っている」

たいまつの周りでキリコ(灯籠)が乱舞する石川県能登町のあばれ祭=同町提供

 神輿をかついで20年となる地元住民の青山正道さん(39)は、祭りの日だけしか会わない住民もいるが、祭りによる絆があると感じている。

 地震の時に大津波警報が発表されると、若手の住民たちが示し合わせたように近所の家を一軒一軒まわり、「一緒に逃げよう」と避難を呼び掛けていた。

 「取り残されたおじいちゃん、おばあちゃんがいないか、みんな同じ感覚を持っていたんでしょうね」

 青山さんは「祭りなんてやっている場合じゃないと言われることもあると思う。それでも少しずつ前に進んで、能登の復興を引っ張って行きたい」と話した。【安西李姫】

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