イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への侵攻が激化する中、現地から遠く離れた日本でパレスチナの人々に連帯し、虐殺の中止などを訴える人たちがいる。
「昨年10月に始まったことは、75年前から起きていることだと私たち家族は話しています」。こう語るのは、上智大2年のカセム・ジュマーナさん(19)。パレスチナ人の父と日本人の母を持つ。
1948年のイスラエル建国に伴い、多くのパレスチナ人が故郷を追われて難民となった。ヨルダン川西岸地区で暮らしていた祖父はクウェートに逃れた。その後、一家はヨルダンへと渡った。この時、カセムさんの父は日本へ向かい、母と出会ってカセムさんが生まれた。
ガザで繰り広げられる惨状を現地の人々が発信するSNS(ネット交流サービス)投稿で追う。「このようなことが起きているのにもかかわらず世の中の人々が沈黙していて、とても強い怒りを覚えます」。学内でのデモを呼びかけた。すると、想像を超える約70人が駆けつけた。現地からひどいニュースが届くが、こうしたパレスチナに連帯する人たちの輪が支えとなっている。
望むのはパレスチナの解放だ。「祖父の家族は故郷でオリーブ畑を営んでいたそうです。解放されたら、祖父の故郷に行き、そこの文化を探求したい」
東京大農学部3年の八十島(やそじま)士希さん(25)は、アメリカの大学生がキャンパスにテントを張り、警察の介入を受けながらも、虐殺に加担するなと大学に求める活動をしていることを知った。「これに連帯する形だったら、自分たちの行動が世界に影響を与えられるかもしれない」。4月26日の夜、学内にテントを張った。思いを同じくする仲間が加わり、共に交代しながら24時間体制でキャンプを守っている。「東大だけでやっていてもイスラエルを変えることはできない。他の大学にも広がってほしい」
反アパルトヘイト運動を闘った南アフリカ人の父と日本人の母を持つ植田由希さん(27)はIT企業に勤める傍ら、デモに参加し、署名を集めるなど、パレスチナに連帯する活動に参加している。アパルトヘイト政策により南アフリカの人々が苦しんできた歴史とパレスチナの人々が置かれている状況が重なる。「マンデラや父などの政治的リーダーから市民まで、多くの人が活動に身をささげたおかげで、今の自分たちは自由でいられる。彼らの意思を引き継いで次の人たちのために行動したい」
美術家の飯山由貴さんは、自身の作品が展示中(現在は終了)の国立西洋美術館(西美)前に立った。手に持った厚紙には「川崎重工はイスラエル製武器を輸入するな」とある。ハンドマイクを手に道行く人たちに語りかけた。「イスラエルの武器輸入を取りやめることは同国への制裁となり、進行中の虐殺を止める手立てになります」
防衛省は、川崎重工業に情報収集と攻撃の機能を持つイスラエル製ドローンの性能検証を委託している。その川崎重工は西美のオフィシャルパートナーだ。
飯山さんは出品作家の立場を生かしてアピールをすることにした。「どうか自分の目の前で人が殺されていないというだけで、無関心でいないでほしい」
東京・渋谷で5月にあったイスラエルのガザ侵攻に抗議するデモ行進の先頭に、主催者の一人で会社員のタティアナさん(26)がいた。パレスチナの地を追われ難民となった祖父母を持つ。父はパレスチナ人、母は日本人だ。「もちろん日本は故郷であるけれども、魂の故郷はパレスチナ。自分の世代で解放されることを夢見て、死ぬまで解放を訴えます」
「毎日のようにガザのためにデモや発信をする人たちを尊敬します。ただ、自分はそこまでできていません」。東大大学院で学ぶ西藤陸さん(22)の姿が成田空港出発ロビーにあった。NGO「北海道パレスチナ医療奉仕団」の一員として、1週間の予定でパレスチナのヨルダン川西岸地区に向かう。
学部時代から、オンラインでガザの大学生らと交流を重ねてきた。5月17日に5カ月ぶりに連絡が通じたガザの友人は、「こんな絶望的な状況だけど、いつか日本に留学したい」と話していたという。つながっていることしかできず、無力感でいっぱいになった。
学生としてできることは、「よく見て、よく聞くこと」だと思っている。「西岸でもイスラエルによる占領と入植が続いています。現地の人々の思いに少しでも触れたい」。帰国後は、見てきたことを発信し、パレスチナで起きていることを考えてくれる人を少しでも増やしたいという。【後藤由耶】
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