【うるま】沖縄県うるま市石川に米軍ジェット戦闘機が墜落した事故から30日で65年となるのを前に、事故現場となった宮森小学校は28日午前、追悼集会を開いた。宮森小が主催し1~6年生405人と、近隣の城前小学校6年生72人が参加。一緒に犠牲者の冥福を祈った。

なかよし地蔵前に献花する児童=28日、うるま市の宮森小(竹花徹朗撮影)

 米軍ジェット機墜落事故は1959年6月30日に発生。児童を含む18人が犠牲となり、200人以上の重軽傷者が出た。戦後の沖縄で最大の米軍機事故と言われる。

 子どもたちは事故から40年の時に作られた歌「フクギの木」を披露した後、犠牲者の名前を刻んだ「仲よし地蔵」に花と鶴を奉納。1分間の黙祷をささげ、恒久平和を願った。

 その後、平和を願い作った詩「平和の誓い」を朗読。「一人一人の手で平和のバトンを未来につないでいこう」と呼びかけた。

 ひまわりが大好きだった弟の上間芳武さん(当時宮森小3年)を戦闘機墜落の爆風で吹き飛ばされて亡くした上間義盛さんは、事故を語り継ぐ「石川・宮森630会」の代表としてあいさつ。「このような集会を開いてもらい、遺族として感謝している。ぜひ平和を愛する立派な大人になってほしい」と願った。

 前原陽太さん(11)が5歳のときに亡くなった祖父は事故当時、宮森小の5年生だった。祖母から、祖父は中庭で遊んでいたが隕石が落ちてくると思い、友達と逃げて助かったという話を聞いた。「おじいちゃんが助かってよかった。もっとおじいちゃんから事故のことを聞きたかった。二度と宮森にジェット機が落ちないような平和な世の中になるよう、考えていかなければ」と話した。(中部報道部・又吉朝香)

平和の誓いを群読する児童=28日、うるま市の宮森小(竹花徹朗撮影) 米軍ジェット機墜落から65年。快晴の中行われた追悼集会=28日、うるま市の宮森小(竹花徹朗撮影)

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