炎天下の西サハラの砂漠。近くの解体前のガソリンスタンドに居候したのち、ヒッチハイクをしてえらい目に遭った=2023年11月25日、藤原章生撮影

 「ああ、やっぱりアフリカだ!」って、何がやっぱりなのかわからないが、こんな風景、こんな人々を見ると思わずそんな声が出る。そういえば「男はつらいよ」の渥美清さんもアフリカが好きだったが、私も大好きだ。いるだけでうれしくなる、懐かしくなる人間の大陸。

ローカルバス、バイクタクシーで移動

 四半世紀前、30代の5年半、南アフリカのヨハネスブルク特派員として暮らし、大陸のあちこちを回った。紛争取材ばかりだったが、家族共々すっかり魅せられ、この地にとどまろうと思った。そんな矢先、「次はメキシコ」と東京の上司に言われ、もともとスペイン語をしゃべり、ラテンアメリカに憧れていた私は、じゃあ、とりあえずと、この地を離れてしまった。

 ところが、メキシコを拠点に中南米を回ってみると、そこは20代のころ引きこまれた世界とは少し違っていた。アメリカの影響? 新自由主義のせい? あれこれ探っていたら、ある人にこう言われた。「それは君がアフリカを知ったからだよ。南米が変わったんじゃない。あなたが変わったんだよ」

 アフリカの水を飲んだ者はアフリカに戻る、とよく言われる。一度この地に暮らすと、何を見ても、どこに行っても面白くない、ということなのか。

 南アを離れたとき、ソウェトに暮らす一番の女友達タンタから「今度いつ会える?」と聞かれた。「すぐ帰ってくるよ」と言いながら、結局私は23年も帰らなかった。タンタはその後エイズで亡くなり、戻ってみると、友人の半分がすでにいなかった。それもアフリカかあ、とむなしくなったものの、じゃあ、アフリカって何だろう?

 まずは昨年11月7日にスペインのバルセロナに飛び、目的地の南アにクリスマスのころには入るつもりだった。ジブラルタル海峡を渡り、ローカルバスやバイクタクシーなど一番安い陸路で南下するも、人の家に長居してばかりで、年明けにようやく西アフリカのコートジボワールにたどり着いた。時間と予算、根性不足から陸路を断念し、正月に一気にヨハネスブルクに飛び、ソウェトで主目的のズールー語を学ぶこと3カ月、4月5日に空路で帰国した。計5カ月、ずっと真夏だった。

シエラレオネ南部スリマで洗濯ものを干していた少女=2023年12月28日、藤原章生撮影

 タイムトラベルのような25年後のアフリカ。人々の何が変わり、何が変わらなかったのか。そして、昨年の連載「イマジン~チリの息子と考えた」と同じく、近未来の人の生き方を考えてみたい。【藤原章生】=原則土曜日に掲載します

藤原章生(ふじわら・あきお)

 1961年福島県生まれの新聞記者、ノンフィクション作家。南アフリカ、メキシコ、イタリア特派員として約15年海外に駐在。2012年に帰国後は「原子の森 深く」「ぶらっとヒマラヤ」「酔いどれクライマー」など長期連載を主に執筆。アフリカを舞台にした「絵はがきにされた少年」(05年、開高健ノンフィクション賞)など著書紹介はホームページ(bit.ly/fujiwarahp)。

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