今、2人に1人ががんになる時代です。しかし、医師から「がん」と診断された時、患者の頭をよぎるのは家族や仕事、そして自らの人生のこと。突き付けられた現実でいっぱいになり、何も考えられなくなることがあるといいます。

患者の娘・岩崎圭子さん(仮名 以下、岩崎さん)
「やっぱり最初話していても素人が話しているから全然先に進まない。手術どうするとか」

患者・遠藤華さん(仮名)
「ずっとね、堂々巡りなんだよね」

岩崎さん
「知識のない中で話しているから」

それを助けるのが、「がん専門相談員」です。

がん専門相談員・坂本はと恵さん(以下、坂本さん)
「医学的な情報云々のことだけじゃなくて出会って間もない先生と診察室だけで話すって先生の人柄も見えづらかったりとか、いろんなことがあるんですよね」

岩崎さん
「先生のことももちろん信用できてそれも大きいんです。けれども、でも、それをがばって押してくれたのが坂本さんで…」

患者や家族などの希望を聞き、寄り添い、人生を支えます。千葉県の国立がん研究センター東病院の職員で、医療ソーシャルワーカーの坂本はと恵さん。職場は、院内にある「がん相談支援センター」です。

「がん相談支援センター」は、全国のがん診療連携拠点病院などに設置されています。がんと診断された患者や家族、そしてパートナーなど誰でも無料で相談できます。坂本さんはここで「がん専門相談員」として働いています。

坂本さん
「がんの診断というすごい大きな出来事というんですかね。頭が真っ白になってるとは思うんですけど。でもやっぱりそういう中にありながらもこうありたいとか、こうなりたいんだけども、一体次の一歩をどう踏み出したらいいかわからない。自分が今直面している、抱え込んでいた、いろんな思いとか。あとは自分が、どんなことを大事にしてきたのかっていうことが言葉に出すと可視化できるじゃないですか。対話をしながら可視化していく。そしてもう一回整理し直すところのお手伝いをする立場だと思っています」

東病院では坂本さんたち「がん専門相談員」8人が、患者や家族などの療養生活に関するあらゆる疑問や悩みごとを聞きます。

そして医師や看護師、地域の関係者などと連携しながら、必要な情報を提供したり、その人らしい療養生活を
実現できるようお手伝いしています。

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この日、退院前のカンファレンスに臨んだのは、乳がん患者の藤原やまとさん(仮名 以下、藤原さん)です。相談員の坂本さんや医師、看護師、薬剤師、ケアマネージャーなど10人が集まりました。

坂本さん
「お家での生活、サービスとかもスムーズにつながるようにというところで、この場を持たせて頂きました。改めて自己紹介させて頂きます。私、がんセンターの坂本です」

藤原さんが体に異変を感じたのは、9年ほど前のこと。

藤原さん
「娘が中学に上がる頃に左胸に丸いしこりがあって「これ危ないな」ってすぐ分かったんですけど。病院に行くのは、(娘が)思春期の時にはきついかなと」

検査も受けず仕事を継続…しかしその後、重い貧血になり、病院を受診したところ「転移をともなう乳がん」と
診断されました。東病院で抗がん剤や放射線治療を受けてきましたが去年春ごろから病状が悪化。

藤原さん
「先生がその状態を見て、これは肺に水が溜まっていて病院で治療してもらおうと」

1週間入院し、胸に溜まった水を抜き、退院後の生活の準備を整えてきた藤原さん。入院する前までは呼吸の苦しさや胸の痛みを訴えていました。

病院や薬に馴染みのない生き方をしてきたという藤原さん。がん患者の家族をもつ友人に紹介されたのが坂本さんでした。薬による痛みのコントロールや、介護用リクライニングベッドの導入で辛い症状が和らいだといいます。

藤原さん
「病院に入ってリクライニングベッドの素晴らしさ、それをすぐに(帰宅後も)使えるようにして頂いたので本当に起き上がる時とか、すごく安心だなと」

坂本さん
「こういう頻度で、こういう部分で、医療者だとか介護の方とかに入ってもらいたい、。こんな風に考えているということを教えてもらってもいいですか」

藤原さん
「これからは1週間ごとのストレスで状況変わってくるので、それを診て頂けるのはすごい心強いですね」

藤原さんは退院後、自宅で「緩和ケア」を受けるため医師や看護師、介護士などの訪問サポートをお願いすることにしました。

担当医
「買い物とかはヘルパーさん使えますよね?」

坂本さん
「制約があるとしたら家族全体の買い物はできなくて」

藤原さん
「じゃあ私のお昼とかそういうのは買ってきてもらえる」

坂本さん
「そのあたりケアマネさん?」

ケアマネージャー
「買い物については介護保険申請これからですよね。私の方で代行できますのでお任せ頂ければ」

藤原さん
「そういうのがいいんですよね、全然わかんないから」

オンラインで参加していた、これから藤原さんの訪問診療を担当するクリニックの看護師からは、こんな質問が…

在宅クリニック看護師
「ご自宅の方に帰られて、いざという時の対応なんですが、(東)病院の方で受け入れはどうなっていますか?」

もし、自宅で容体が急変した時に、どう対応するか。

坂本さん
「その件は、自身の希望がしっかりあって…」

自分の口から希望を伝えて欲しい。坂本さんは、そんな思いで藤原さんに発言を促します。

藤原さん
「将来何年後かに、そういう時になったら、延命処置…そういうのもなしで終わりたい」

乳がんを患い、自宅で「緩和ケア」を受けることを決めた藤原さん。医療や介護を担うスタッフの前でこんな希望を口にしました。

藤原さん
「これが天命って思っているので、そうなった時には家族にも慌てず、救急車呼んだり、延命処置、そういうのもなしで終わりたい。そう伝えてあります。そこまでの幸せな人生で閉じる、って感じです」

在宅クリニック看護師
「わかりました。例えば呼吸苦が強くなってしまって、胸水穿刺(胸から水を抜く処置)をすれば楽になるよという場合とかは、受け入れとかはどうなっているでしょうか」

腫瘍内科医師・細野亜古さん
「ご本人とのお話では、もう在宅に帰られたら、そこで…そういう処置も終わりだねっていう話になっています」

在宅クリニック看護師
「わかりました」

腫瘍内科医師・細野亜古さん
「すごい気が変わってって時は、ご本人の気が変わった時にはご相談して頂ければいいんですけど」

在宅クリニック看護師
「はい、わかりました。ありがとうございます」

無理な延命処置はせず、見送ってほしい。藤原さんの意向を医療スタッフみんなで共有します。

坂本さん
「ご主人は聞いておきたいことはありますか?」

藤原さんの夫・昴さん(仮名)
「家族以外の誰かが見てくれるっていう、何かあった時の連絡先がきっちりとできるっていうのは家族にとってもありがたいことだなと思います」

会社の同僚だった昴さんと出会い結婚した藤原さん。娘の和泉さんと3人、幸せな毎日を送ってきました。

自宅へ帰る日がやってきました。医療・介護スタッフなどが訪問するスケジュールを坂本さんが確認します。

坂本さん
「ご家族の事をすごく大事に思っておられるので、少し体の辛さが和らぐと家族とのコミュニケーションもスムーズになるじゃないですか、そういう状況で帰って頂けそうだなって。素直に嬉しいですし、少しでも穏やかに過ごせる日々が長く続くといいなって…」

藤原さん
「色々と本当に助かりました。細やかにありがとうございました」

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坂本さんの日常。入院病棟にある、全てのナースステーションにも毎日、顔を出します。

看護師
「80代のご主人と二人暮らしなので…」

坂本さん
「訪問診療とか考えなくていいのかな?」

看護師
「訪問診療、一応案内程度でやっているんですね」

退院後の療養生活の希望など、患者の情報を些細なことでも気にかけ、確認していきます。退院前のカンファレンスに臨んだ神宮寺京子さん(仮名 以下、神宮寺さん)は、がんの影響で声が出せないため、思いをボードに書いて伝えます。チームのメンバーがその言葉一つひとつを読み、家族の疑問と合わせて丁寧に聞き取っていきます。

神宮寺さんの夫
「訪問看護と伺いましたけど、正式に2日に1回なのか、毎日なのかはいつ決めるのですか?」

ワーファさん
「退院が決まってきたらその時のお体の状態とご本人様のご希望ですよね。それを合わせて坂本さんが連絡をくれると思うので…」

実は、神宮寺さん、およそ30年前の東病院開設当初から看護師として長年、がん患者に寄り添ってきました。

神宮寺さんの娘代読:
「私の退院後の生活まで心配していろいろな手段を講じて頂きありがとうございました」

坂本さん
「今みたいな日々の疑問をどんどん、ご家族が安心して過ごすことも大事なケアなので」

ワーファさん
「仰る通りです。一緒に相談しながら一緒にやっていきましょう」

神宮寺さんの夫
「お願いします」

大先輩から見た、坂本さんは―。

Q:坂本さんはどういう方?

神宮寺さん
「(筆談)温かくて気が付いて、頭の良いリーダーです」

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神戸での緩和医療に関する学会参加中の一コマ。ふと思い出したのは、退院した患者のことでした。

坂本さん
「患者さんの雰囲気とか・・季節とかそんなことを思い浮かべながら、イメージ的にレモンのように爽やかな生き方の方だなと思ったので、改めて退院して一息ついたところで感謝の気持ちを伝えたいなと思って…」

手紙の宛先は、延命処置を望まず、自宅で「緩和ケア」を受ける藤原やまとさんです。

坂本さん
「出会って病院から送り出すまで、本当にわずか1週間足らずだったんですよね。これまでどう生きてきたかっていうことをすごく率直に教えて下さり、病院を出る時に「こんなに色々準備してくれてありがとう」ってすごい笑顔を見せて下さって、それが私たちの日々のやりがいになったりするんで、お手紙で文字に残る形でいつでも見返せるようにするような形でメッセージを伝えることで、もう相談してはいけないのかなっていう気持ちのハードルが下がればいいなって」

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自身の闘病体験をもとに、小児がんを含む、がん患者やその家族の支援を続ける桜井なおみさん。長年にわたって坂本さんと活動を共にしてきました。

CSRプロジェクト代表理事 がんサバイバー 桜井なおみさん(以下、桜井さん)
「待つんだよね。待てるの。患者さんを信じているから、患者さん自身が解決する時間を待ってくれるんですよ。少し待ちながら少しずつ羅針盤の光で照らしていってあげる。歩くのは患者だから。その力を信じてくれている
のがわかるのですごく嬉しいんですよね。だから私たちも信頼して「坂本さん、坂本さん」と言える」

この仕事に就いて20年以上…患者の人生を見つめる日々。

坂本さん
「相談されている内容そのものにすごく感じさせられたりするけど、そのことですごく辛かったり、悔しいなと思ったりすることはあるんですが、だからこの仕事はもうしんどいとかって思うことは、あんまりないんですよね」

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自然豊かな高知で生まれ育った坂本さん。音楽に興味を持ち、声楽の道に進もうとしていました。しかし、18歳の頃、転機が訪れます。病気を患った高校の恩師や交通事故に遭った家族のある言葉に考えさせられたといいます。「病気は人を孤独にする」「自分の本質は何も変わっていないのに―」これ以降、坂本さんは、「人と向き合う仕事」を意識するようになりました。

坂本さん
「色んな選択肢があるんだと知れる場所があったら、自分の人生選んで行けることだって一杯あるんだなって。
何かその人にとっての未来につながる情報提供があったらいいな。それが例えば病気の方々、家庭環境が何だろうが、個人的な要因が何だろうが、平等に情報が選べるようにと、そういう仕事にしたいなって」

大学4年生の時、研修先の病院の関係者や患者との出会いがきっかけで、医療ソーシャルワーカーに。2004年から東病院の「がん専門相談員」として働き始めます。ずっとその仕事ぶりを見守ってきた大津敦 病院長は―。

大津敦病院長
「いろんな人の相談を受けて、なかなか。必ずしも感謝されるわけじゃないし、嫌なことも山ほど経験してるはずですよ、相談(支援)センターっていうのは。ある意味自分が、がんになったことを「何で俺ががんになったんだ」っていう怒りをぶつけて来られる方もたくさんいるし。表面の綺麗な話でなく裏の生活の誰もが見たくないような場面も見ざるを得ない時もあるじゃないですか。だからなかなか精神的にタフじゃないとつとまらないし、そういうところが一番強いんじゃないの。人が好きなんじゃないですかね。その人にとって少しでもハッピーであればいいということじゃないですかね」

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藤原さん
「わざわざ直筆で書いてくれたんだと思って。坂本さんらしい丁寧な字で…」

坂本さんからの手紙を大切にしているという藤原さん。

藤原さん
「嬉しいなって思いました。個人的に来た感じで。でも返事を出せてなくて。浮き沈みが激しいから具合悪い
って言うと心配しちゃうかなって。会いたいですね」

自宅で過ごし始めて2週間…藤原さんを訪ねました。坂本さんたちの勧めで導入した介護用リクライニングベッドを使っています。

藤原さん
「ボタン一つで起き上がって、足を出して、手すりにつかまればすぐに起きられるし、寝る時もそのまま好きな角度で寝られる。最高です」

費用の高さを心配していましたが、ひと月2000円で借りることができました。40歳以上の人が、がんでで根治が難しいと判断され、要介護や要支援の認定を受けた場合、介護保険サービスを利用することができます。

藤原さん
「坂本さんだったからなのかなって。スマートで主人とも密に連絡とって、書類とか色んな面倒くさいことを
すごく早くやって頂いたって。こんな病院あるんだなって。気を使わせず、優しく楽しく話ししていろんな人を紹介してくれて、その人たちと家に帰って私がどうしたいかを皆が聞いてくれて」

結婚して24年、大好きな旅行で全国や海外へ。いつも、どんな時でも一緒でした。

藤原さんの夫・昴さん(仮名)
「とにかく好きでしたね。やることなすこと。面白いし、笑いあり。2人でしんみりしたことも多分ないと思います」

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自宅を訪問する医師や看護師などのサポートを受けながら大切な家族と自宅で過ごしたい。藤原さんの願いを支えたのが、坂本さんがつないでつくられたチームでした。

藤原さん
「いつか笑顔で元気な姿で会いたいなって思いますね」

東病院がある柏市内で定期的に開かれている会議があります。在宅医療に関わる医療や介護、行政、民生委員など様々な職種が集まり、ワークショップなどを通じて“顔の見える”関係を作り、連携を深めています。

こうした日頃からの連携がある患者の在宅サポートに役立ったケースがあります。宮田勝広さん58歳。

Qこのバスでいつも通っているんですか?

宮田さん
「うん。10年はもう超えちゃいますね。きょうは腰から下がかなり痛いですね」

宮田さんは血液がんの一つ「多発性骨髄腫」の治療を続けていますが、がんの影響で背骨の一部を骨折し、神経が圧迫されて両足が麻痺、車椅子での生活を余儀なくされています。

ワーファさん
「ここもワセリンだけでいいんだろうけど、保護だけしておきますね。炎症ないから、自然に瘡蓋が取れるのを待つ感じで」

宮田さん
「うん」

独り暮らしの宮田さんのもとには、週2回、訪問看護師が入り、サポートしています。

宮田さん
「3分の1以上はスポーツドリンク類だけ飲んで」

ワーファさん
「お陰ででも脱水までは行ってないから、じゃあその感じで。終わったら涼しい部屋で休んでくださいね」

初めは他人が自宅に入ることに抵抗があったという宮田さん。坂本さんたちのチームが何度も交渉を重ねたといいます。

宮田さん
「最初断ったんだよね。訪問看護はいいですわと。だけど治療しないと治らないから足このまま放って
おいたら…そこまでひどいのかと思って」

坂本さん
「宮田さんらしく生きてもらうためにも、これ以上足の調子悪くしてしまうわけにはいかないんだよ」っていうのは担当の先生がね。目標はそこ。(ワーファさんが)お家に伺う時に「どこまでの範囲だったら入らせていただいて大丈夫か」とかそういうこともちゃんと宮田さん自身に直接聞いて下さって」

宮田さん
「俺もシャッター閉めてたけど、とにかく知らないし、この病気のことを。自分自身も。じゃあ知っている
人の言うこと聞いてみるかって」

坂本さんと つながって12年が過ぎました。

坂本さん
「そっと「気を付けなよ」とか、気遣いをして下さるのでそういう意味で時々お兄ちゃんみたいだなって
感じることはあります。仲間意識が芽生えたり色々ですね」

宮田さん
「生きているからこそだけどね」

坂本さんが働く「がん相談支援センター」の重要性は年々増しています。ただ、その存在は知っていても実際に
「利用したことがある人」は2割未満。理解を深めてもらうため、坂本さんも病院の外で、センターの役割や取り組みを伝え続けています。

坂本さん
「お医者さんにかかるってすごく緊張すると思うんですが間口を広くして待っています。セカンドオピニオンがほしい、このままこの病院で治療を受けた方が良いかなとか、先生のおっしゃっていることが言葉解釈できなくてということがあったら。ぜひ、気軽にがん相談支援センターにご相談頂ければと思います」

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この日はレギュラー出演している音声コンテンツの収録。

アナウンサー・古賀さん
「ソーシャルワーカーさんって患者さんやご家族と病院、公的機関やあらゆる制度だったり、とにかくつないで
つないでっていう…」

坂本さん
「まさにそうですね。本当に「架け橋」。患者さんの気持ちだとかこうありたいだとか。その希望に橋をかけていくところが一番大きな軸となる仕事かなと」

地域や立場を超えて、より多くの人の声に耳を傾け、療養生活に役立つ情報を届けようと、3年近く取り組んでいます。

アナウンサー・古賀さん
「すごく真面目でとてもある意味、厳しい方なのかなって思っていたんですが、話している最中に「あれ私古賀さん、今何話してたっけ」みたいな。そのちょっと天然さだったりというところが、すごく人間らしい。それでこそ会いたくなって、この人に話を聞いてほしいという所に結び付く」

坂本さんが取り組んでいる課題の一つが、15歳から30代までの、いわゆる「AYA(アヤ)世代」のがん患者のサポートです。

就学や就労、結婚・出産・育児など、人生の大きな転換期があるAYA世代。その時期に、がんになり治療を受けることで心身にさまざまな影響が出ることがあり、支援が求められています。

坂本さん
「ONAYAの世代の方々、特に小児がん経験者の方々に関してどう社会が、また医療機関が、また患者さん自身が向き合っていくのかということに関して新しい仕組みづくりをやっていこうというスタートラインに立っています。社会保障の制度改革というところに関してもまた課題部分をさらに掘り下げて、この学会を通じて、政策提言というところにつながっていくことを切に願っております」

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その知らせが、坂本さんの元に届いたのは秋のことでした。

坂本さん
「一言で言うと格好いい人でした。凛として格好良い方だなって。その一言に尽きます。自分の生き様というかそれがもう本当に確固たるものがおありでしたよね」

自宅で「緩和ケア」を受け始めて3カ月あまり。家族に看取られて迎えた最期でした。

藤原さんの夫・昴さん
「買い物行ってくるからって言って「何かほしいものある?」と聞いたら、プリンとバニラアイスを買ってきてくれ」と。食べたいからって言って、わかったじゃあ買ってくるよって。それが一番最後の会話ですかね。多分1番本人が叶えたかったのは家で過ごすことかな。そこでずっと寝たまんまでしたけど。それが叶えられたのは大きいかなと」

娘の和泉さん。思い出すのは親子で送った何気ない日常のことでした。

藤原さんの長女・和泉さん
「去年8月にフェスに行って、その時はちょっとした介助は必要だったんですけど普通に動けていたんで。何か特別な…例えば誕生日がすごい楽しかったっていうよりも、日常が楽しかったです。入院していたら多分もう外出できないので思い思いに自分で過ごせたのは家にいてくれて良かったと思います」

藤原さんの夫・昴さん
「その人にとって何が一番時間を過ごすのが有意義というかその人の最後の人生をどう過ごさせてあげれるのかっていうそういう道も今あるんであれば、ぜひとももっともっと…頑張っているんでしょうけど、もっと広めてほしいし…」

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坂本さん
「確認したいこと、きょうの段階では?」

坂本さんにとって「がん専門相談員」とは―。

坂本さん
「必ず患者さんと出会った時には一回、真っ白な気持ちで「まず、あなたのことを教えて下さい」「あなたが何を大事にしているか直接お聞きしたいんで」って。そこに対話だったりとか、お医者さんや看護師さん、時には同じ体験をしたような患者さん仲間との出会いとかというものをつないでいく、出会いをつないでいく。それが私にとってはすごくかけがえのない時間というか、自分の生き方みたいなことを真剣に考える機会があるんですよね。そんな風に自分に向き合うことができる。自分の人生を豊かにしてくれる。この仕事の、この魅力を(後進に)伝えることが次の私の大きな宿題だと思っています」

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