「家に一人でいたままならだめになっていたでしょうね」。社会とのつながりとともに自信を取り戻した認知症当事者の前田博樹さんはそう語る=川崎市高津区のマイWayサードプレイスで2024年5月22日午前11時21分、三浦研吾撮影
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 3年半ほど前に認知症と診断された前田博樹さん(67)は道に迷ってさまよい歩くような経験もした。自信をなくして家にこもる日々。現在はそこから抜け出して充実した暮らしを取り戻した。川崎市にある事業所に1人で通い、働いて社会とつながることもできている。望んだ外出を続けられることは認知症の人にとって大きな意味を持つ。前田さんに尋ねた。なぜ苦しい状態からリカバリーできたのですか――。【銭場裕司】

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 <掲載予定>
 9日 山道から滑り落ち行方不明に 認知症の幸さんを本当に救ったもの 
 10日 元警察官設立の「つなぎ」 保護された認知症の人を家族のもとへ 
 ※いずれも午前7時公開 

道に迷っているみたい

電車を乗り継いで1人で障害福祉事業所に通う前田博樹さん。認知症になったものの、やりがいと自信を取り戻した=川崎市高津区で2024年5月22日午後0時5分、三浦研吾撮影
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 前田さんは精密機器メーカーで長年働き、海外駐在でも活躍した。「仕事人間でしたね。ほかの人よりたくさん働こうという気持ちがありました」。話し好きで明るく、周りから慕われる人でもある。

 離れて暮らす長女(35)とその夫が父親の異変に気付いたのは、本人が63歳で仕事をやめた頃のことだ。不動産会社から予期せぬ電話があった。

 「家が分からなくなって道に迷っているみたいですよ」

 アパートで1人暮らしを始めた前田さんが不動産会社に助けを求めたことがあり、心配して教えてくれたようだ。

当時を再現すると

 前田さんは取材に対して、夜中に外をさまよい歩いたこともあったと明かした。なぜそうなったのか、当時の心境を振り返ってもらった。

 「気持ちも安定していない時期でした。自分のアパートで目が覚めて『ここはどこ?』と思ったんですね。どこなのか知りたくて外に出るんですけど、夜は景色が違って目安になるものが見えない。そうすると道を間違えてどんどん知らないところに行っちゃう。『どうやったら帰れるんだろう』って焦りました」

スマホを手に笑顔を見せる前田博樹さん。日々のスケジュールとともに大切な写真も入れている=川崎市高津区のマイWayサードプレイスで2024年5月22日午前11時33分、三浦研吾撮影
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スマホで助け舟

 長女夫婦にとって前田さんはいつも堂々として自信にあふれた人だった。それががっくり落ち込み、口数も減った。不安のためだろう。家にこもるようになり「俺、ばかになっちゃったよ」と力なく口にした。長女は「苦しかったと思います」と父を思いやる。

 道が分からなくなった時に備えて、家族は本人の了解を得て、自分たちのスマホで前田さんが持ち歩くスマホの位置を分かるようにした。病院に通う時など道に迷った時は、電話で目印を伝えて助け舟も出した。

敵の正体が分かった

 この頃、長女夫婦の勧めで受診した前田さんに若年性アルツハイマー型認知症の診断が下りる。本人はこれを前向きに受け止めたという。「敵の正体が分かったので『やった!』と思いました。それまでは『なぜ、なぜ』と悩んでいましたから」

 しかし、前田さんがすぐに活発に動けたわけではない。慎重に確認しながら、少しずつ活動範囲を広げたという。

認知症になり、道が分からなくなることもあった経験を語る前田博樹さん(左)。右は、前田さんが通う障害福祉事業所の運営に携わる渡辺典子さん=川崎市高津区のマイWayサードプレイスで2024年5月22日午前11時26分、三浦研吾撮影
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事業所との出合い

 大きな転機になったのは障害福祉事業所「マイWayサードプレイス」(川崎市高津区)との出合いだ。長女夫婦が川崎市の若年性認知症支援コーディネーターの渡辺典子さん(50)に診断前から父親のことを相談し、その縁で事業所とつながることができた。

 65歳未満で発症した若年性認知症の人の中には自分に合った居場所が見つからない人も多い。サードプレイスは若年性の人たちに門戸を開いた就労継続支援B型の事業所で、現在は自家焙煎(ばいせん)したコーヒーの販売や配送品を梱包(こんぽう)する仕事などを手がけている。

社会とつながる喜び

コーヒー豆を火に掛けて焙煎する前田博樹さん。この障害福祉事業所で週5日働いて充実した時間を送る=川崎市高津区のマイWayサードプレイスで2024年4月30日午前11時38分、銭場裕司撮影
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 2021年の夏ごろからサードプレイスで働くようになった前田さんは徐々に落ち着きを取り戻した。「ここに来て気持ちが楽になりました。充実した時間があるとほっとする。今日はやることをやったという達成感がないとおいしいビールは飲めないから」と明るい声で振り返る。

 「俺も社会とつながれている」。長女にもそんな気持ちを語るようになり、表情は見違えるように良くなった。

 現在の前田さんは日々の予定をスマホに入力して確認し、大事なお知らせの書類なども写真に撮っておく。走り慣れたコースをジョギングすることも。道が分かりにくくなる夜は外出を控え、週5日、電車を乗り継ぐ通勤も問題なくやれている。

 急に電車が運休になったら混乱しませんか。そんな質問をすると「あがかないようにしています。自分にコントロールできない出来事があった時は『しょうがないね』と考えます」と返ってきた。

本人の思い、家族の思い

 前田さんと長女夫婦の間には深く考えさせられるこんなやりとりがあった。

認知症になり家にこもる日もあった前田博樹さん。自信を取り戻すきっかけになった障害福祉事業所の前で取材に応え、笑顔を見せた=川崎市高津区で2024年5月22日午後0時1分、三浦研吾撮影
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 確実に受診できるよう、自宅に医師が訪れる在宅診療に切り替えることを長女夫婦が提案した時の話だ。前田さんは「自分には病院に通うことも社会とつながることなんだ。どうして変える必要があるんだ」と応じず、「在宅にするのは(長女夫婦にとっての)安心がほしいんだろ」と言った。長女らは自分たちの考えていたことが透けて見えたように感じて言葉に詰まったという。

 この話は長女夫婦が取材で明かしてくれたものだ。どんな家族でも思いがすれ違うことは当たり前に起きる。前田さんの家族はそこから目をそらさず、真剣に考えていた。

 取材に対して長女は「心配や葛藤もありますが、こちらの考えも伝えながら父の本心を聞いて話していきたい。父の気持ちをできるだけ尊重したい」と語る。一方の前田さんも支えてくれる長女夫婦への感謝の気持ちを口にしている。

 不安の中でひどく苦しんだ時期もあった。それでも今、前田さんには穏やかな時間が流れている。=随時掲載

 認知症の人が望んだ外出を続けるには。行方不明の課題を含め、さまざまな事例や声を紹介しながら考えます。

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