3日に発生した台湾東部沖地震後、県内各地では発令された津波警報を受けて車での避難による渋滞が起きた。そんな中、高台への移動を促すため、県道81号の全4車線を一方通行にした警察官たちがいた。判断に至った経緯を聞いた。(社会部・豊島鉄博)

 宜野湾署は3日午前9時40分から約40分間、宜野湾市の伊佐から喜友名までの県道81号約500メートルの全4車線を一方通行化。高台にある北中城村ライカム方面への避難を促した。

 現場で対応に当たったのは、同署地域課の大城直也巡査部長(38)と友寄聖(しょう)巡査長(24)、阿嘉尚桐(しょうと)巡査(20)の3人。パトロールを終え、署に戻ろうとしていた午前9時1分、津波警報が出された。宜野湾バイパス(国道58号)の沿岸部である浦添市牧港から署向けにパトカーを走らせ、マイクで避難を呼びかけた。

 沖縄本島への津波到着の予想時間は午前10時。高台に避難誘導するため、伊佐交差点へ向かった。だが、ユニオン伊佐店近くの交差点から県道81号に入ろうとしても車が詰まっており、全く動かなかった。

 時刻は午前9時半ごろ。「このままだったら、みんな津波に巻き込まれて死ぬかもしれない」。3人は危機感を覚えた。

 「どうやって車を通せばいいか」と頭を一瞬悩ませたが、那覇向けの車線がすいていることに気付いた。すぐに署に連絡し、一方通行の交通規制を実施することにした。

 道交法では道路で交通の危険が生じる恐れがある場合、警察官の判断で交通規制を敷くことが認められている。大城さんは伊佐交差点付近で、他の2人は県道81号に立って手信号で誘導した。初めての経験だったが、落ち着いて誘導できたと振り返る。

 今回、沖縄本島地方はわずかな海面変動にとどまったが、心構えをしておくに越したことはない。

 大城さんは「信号のみの対応では限界もある。津波警報が出た時点で、警察官が交差点に立ってすぐに交通誘導をするといった柔軟な対応も必要」。友寄さんは「沖縄は車社会。車での避難が必要な人たちが優先的にできるよう、県民がさらに意識することも大切」と話した。

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