雲仙・普賢岳の大火砕流から33年となり、「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」に献花する人たち=長崎県島原市で2024年6月3日午前8時31分、野田武撮影

 43人が犠牲になった1991年の長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から33年となった3日、同県島原市は朝から鎮魂の祈りに包まれた。警戒中だった消防団員らが亡くなった、「北上木場(きたかみこば)農業研修所跡」では、大火砕流が発生した午後4時8分に遺族らが黙とうした。

 同研修所跡では、消防団員だった大町安男さん(当時37歳)の長男で陸上自衛官の祐介さん(41)=熊本市=が慰霊の鐘を鳴らした。祐介さんは「いろんな方が犠牲になられた。その人たちの思いを、息子や孫の世代に引き継いでいかなければならない」と話した。

 報道陣の取材拠点だった「定点」では、報道関係者らが犠牲者を悼んだ。夜には島原市平成町の雲仙岳災害記念館で、地元の小中学生が作ったキャンドル約2000本に灯をともす「いのりの灯(ともしび)」があった。

 普賢岳は90年11月、198年ぶりに噴火し、96年に終息宣言が出された。現在も噴火活動によって形成された溶岩ドーム(平成新山)周辺は警戒区域となっており、立ち入りが禁止されている。【松尾雅也、百田梨花】

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