「ああ、これは無傷だわ」。石川県珠洲市上戸町の倒壊した実家で、亡き父が大切にしていた碁盤を見つけると、兄弟の顔に笑みが浮かんだ。紺谷英俊さん(60)と淳さん(57)はあの日、父と長兄を亡くした。2人は5月の週末、日本海を間近に望む実家の片付け作業に汗を流した。淳さんは言う。「潰れたままの家を見ていると、二人が下敷きになったと分かった時の絶望感を思い出す。早く片付けたい」。5カ月がたった今も、悲しみは癒えない。
にぎやかな元日が一変
元日は、長兄雅樹さん(当時61歳)と英俊さん、淳さんの三兄弟が実家にそろっていた。雅樹さんと淳さんは石川県津幡町在住だが、英俊さんは横浜市から。3人の家族も含めて9人が集まり、にぎやかだった。淳さんの次女(28)は出産間近で、父一成さん(当時91歳)は「お祝いをやらなあかんな」とうれしそうに笑っていた。
地震発生当時、淳さん一家は市内の親戚宅へ出かけており、兄弟2人と父が居間のコタツでのんびりと過ごしていた。
1度目の揺れで、英俊さんは足の不自由な母初枝さん(85)を探して台所へ向かった。その直後、立っていられないほどの激震に襲われた。「気付いたら居間が壁になっていた」。夢中で初枝さんを勝手口から外へ逃がし、父と兄に声をかけたが返事がない。たまたまあいさつに訪れた親戚に「津波が来るよ」と言われ、なすすべもなく母を連れて高台の消防署へと向かった。その後、二人を救い出すため、再び実家へ戻った。
クワで土壁を壊すと、家のはりの下敷きになった二人の姿が見えた。呼びかけに返事はなかったが、雅樹さんは胸が上下していた。一方、後から合流した淳さんは、潰れた家を見て絶望感に襲われた。1~2時間かけて床下をスコップで掘り、雅樹さんを助けたが、すでに息は無かった。一成さんは倒れていた場所のはりが重くてどうにもならず、2日後の夕方、警察が遺体を運び出した。
優しかった一成さん、親思いだった雅樹さん
一成さんは元公務員で話し好きの明るい性格。孫たちに懐かれ、渡したお小遣いに「少ないぞ」と冗談を言われて一緒に笑う、優しいおじいちゃんだった。囲碁が趣味で、市の囲碁大会にも出場していた。雅樹さんは県内の高等専門学校に勤める英語教師で、家や職場に5000冊ほどの本を置いていた読書好き。寡黙な性格だったが、高齢の両親を気遣い、月に1~2度、淳さんと交代で食料を実家に届けるなど、親思いだった。
英俊さんが毎年の正月に実家へ帰るたび、一成さんは雅樹さんに「ちゃんと遅刻せんと学校に行っとるんか」と子供扱いするように声を掛けていた。「うん」とだけ答える雅樹さん。今は、そんな他愛もない会話がいとおしい。
淳さんは地震後、津幡町の自宅に初枝さんを迎えた。二人の死は、1日夜に避難所で伝えた。「そうか」と静かにうなずいた初枝さん。上戸町の実家では近所づきあいがあり、家族にもいろいろな話をしていたが、今は日中に家で一人でいることが多く、物忘れが多くなってきたという。母を案じながらも、淳さんはまだ二人が亡くなった実感がわかない。「母の部屋にある遺影を見てやっと、『二人ともおらんげんな』(いないんだな)と思う」
2月、淳さんの次女に女の子が生まれた。ひ孫の誕生を楽しみにしていた一成さんの無念を思うが、「きっと成長を見守ってくれている」。亡くなった家族の存在を胸に歩き続ける。【国本ようこ】
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