那覇市牧志の沖映通りにある沖縄そば屋「むつみ橋かどや」が20日で閉店する。店主の石川幸紀さん(68)の父康昌さん(故人)が、米施政権下の1952年に開いた。多くの県民や観光客に愛されてきたが、立ち退きで72年の歴史に幕を下ろす。幸紀さんは「寂しい気持ちもあるが長年お店を支えてくれたお客さんに感謝を伝え、最後まで頑張りたい」と話した。(社会部・末吉未空)

72年の歴史に幕を下ろす老舗の沖縄そば屋「むつみ橋かどや」=5月30日、那覇市牧志・沖映通り(竹花徹朗撮影)

 創業時は国際通りを挟んだ向かいの市場本通りの角(現ドン・キホーテ)に店があり、それで名前は「かどや」となった。その後、ファッションビル「フェスティバル」の建設が決まって立ち退きとなり、日本復帰の72年に沖映通りに移転した。

 父康昌さんは沖縄戦中に海を漂流して宮古島に流れ着き、妻の故秀子さんと出会った。秀子さんの実家が宮古島で「古謝食堂」を営んでおり、那覇でのそば屋の開店を勧められた。

むつみ橋かどや店主の石川幸紀さん

 開店当時、24時間営業だった小さな店は桜坂周辺の飲み屋からの客でにぎわった。公務員の月給を一日で稼ぐほど繁盛したという。

 看板メニューの「かけそば」は創業時は10セントで提供していたため「10セントそば」と呼ばれた。具の一つであるかまぼこは当初赤身の肉だったが、日本復帰が近づくに連れてドルが下落。日本円に変わる際に原価割れしたため、かまぼこに変更した。

「むつみ橋かどや」のソーキそば 「むつみ橋かどや」のソーキそば

 幸紀さんが店を引き継いだのは19歳の頃。75年の沖縄海洋博後は観光客が増え、メニューも増えた。5枚の肉が載っているロースそばは「一つのそばを親子で分けても肉が十分足りるように」と、幸紀さんの優しさから生まれたメニュー。4世代に渡る客からは「おやじさん」と呼ばれ、親しまれている。

 立ち退きの話が出て店を畳む決意を固めた。「自分から辞めるのではなく、辞めざるを得ない状況になった。使命を果たしたんだと思う」と語る。

昼時、常連客や観光客でにぎわう「むつみ橋かどや」

 40年前から常連の仲本勝彦さん(69)=那覇市=は「昔から変わらない純粋な味が好きだった。続けてほしいのが本心」と惜しむ。牧志公設市場で精肉店を営む上原忠さん(61)は15年間、三枚肉を届けてきた。「店主の人柄も良く、いい付き合いだった。閉店は寂しい」と話した。 

 営業は20日まで、午前11時~午後4時。売り切れ次第閉める。火曜定休。問い合わせはかどや、電話098(868)6286。

常連客と話す「むつみ橋かどや」店主の石川幸紀さん(中央) カウンター越しに笑顔を見せる「むつみ橋かどや」店主の石川幸紀さん(左から2人目)

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