犯罪被害者のメディア対応について書かれたリーフレットを持つ酒井肇さん(左)、智恵さん夫妻=大阪市天王寺区で2024年5月、久保玲撮影

 大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件の遺族、酒井肇さんと智恵さんが犯罪被害者向けに、メディア対応をアドバイスするリーフレット作製に携わったのは、自らが体験した「報道被害」を減らして「恩恵」を増やし、被害者支援の仕組みを充実させたいという強い思いからだ。

 2001年6月8日。安全であるはずの学校で児童8人が殺害された事件は、社会を揺るがした。取材は過熱し、被害者や関係者の元には報道陣が殺到。2年生だった長女麻希さん(当時7歳)を失った酒井さんの自宅前にも、多数のメディアが詰めかけ、葬儀に入り込んで無断録音する社もあった。ただ、酒井さんが真っ先に「報道被害」で思い起こすのは、被害者の権利でも、写真の肖像権でも、過熱取材でもなかった。失血死だった娘を助けてくれなかった報道ヘリへの、やり場のない怒りだという。

 混乱の極みにある学校へ、急いで向かう智恵さんに「何か一言」と向けられた取材のマイク。自宅前の報道陣を避けるため、病院から戻った無言の麻希さんの遺体を正面玄関から迎えることができず、葬儀場へも裏口から送り出すしかなかった無念の思い。「ただ、ただ、そっとしておいてほしかった」と振り返る。

大阪教育大付属池田小に入学した時の酒井麻希さん=遺族提供

 嫌悪感しか抱いていなかったメディアに、恩恵を初めて感じたのは事件から数カ月後のことだった。瀕死(ひんし)の麻希さんが壁に手をつきながら廊下を約50メートル、必死に逃げたことが分かる府警のDNA鑑定結果が判明し、報道もされた。全く分からなかった麻希さんの最期の様子が分かり、「力を振り絞った姿が目の前に現れた。麻希の気持ちにたどり着き、触れることができた」と涙があふれた。「私たちも強く生きよう」。報道が転換点になった。

 03年以降、重大事件の遺族を招いて話を聞き、関西の報道各社と意見交換する会合を20回続けた。事件の検証や責任追及、再発防止の訴えなど、メディアの役割に期待したうえでの行動だった。

 だが、京都アニメーション放火殺人事件(19年)や北海道・知床観光船事故(22年)など、被害者の多い重大事件でメディアスクラム(集団的過熱取材)は実際に起きた。「残念だが、『報道被害をなくす』という意味では何も変わっていない。被害者とメディアが相互に理解し合うことがポイントだと考えた」と語る。

 リーフレットには「事件直後に何が起きるのか」を被害者の立場で予測し、取材を受けるメリットや、取材を断る権利も書き込んだ。夫妻は「被害者の声が社会に届くメリットを広く知ってもらうきっかけにしたい」と期待している。【石川隆宣、中田敦子】

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