第二次世界大戦中、福岡県飯塚市の旧三菱飯塚炭鉱で労働を強いられて亡くなった中国人を追悼する慰霊祭が26日、炭鉱跡で初めて開かれた。2022年に日中友好や平和を誓う慰霊碑が建立されており、建立に携わった日中の関係者らが、強制連行された中国人の遺族の来日を実現させた。遺族は慰霊碑の前で献花し、故人をしのんだ。
「多くの中国人労働者や父の苦難の地で、日本の友人と一緒に追悼することは非常に意義がある」。遺族代表の劉永会さん(65)が式典であいさつした。劉さんの父親は終戦後に帰国したが、家族の相次ぐ病死などで、「既に家庭は崩壊していた」という。
日本政府は戦時中に労働力不足となっていたため、1943年から中国人を強制連行し、国内の炭鉱や土木現場などで労働させた。旧三菱飯塚炭鉱は15年操業で、29年三菱鉱業に譲渡された。44年に労働力不足を補うため、中国人188人が石炭採掘作業をさせられ、19人が死亡したとされる。
2016年、三菱鉱業の後継である三菱マテリアルが賠償を求めていた中国人労働者側と和解。その後、炭鉱跡に「日本中国平和友好・慰霊の碑」が建立された。こうした中、「中国人労働者の遺族を呼んで追悼したい」との声が上がっていた。
慰霊祭には中国人労働者の遺族や日中の関係者ら約60人が出席。慰霊碑建立に携わった実行委の松本正代表は「皆様のご尽力で中国人労働者のご遺族をこの場所に迎えることができた。ご遺族の辛苦を皆さんと分かち合いたい」と来場者に呼びかけた。
また、来賓であいさつした楊慶東・中国駐福岡総領事は「故人のご冥福と、悲劇が二度と繰り返されないよう、そして日本と中国が末永く友好的であることをお祈り申し上げる」と述べた。
慰霊碑には強制連行された中国人労働者の名前が記されている。式典後、参加した遺族が父親の名前を懐かしそうに触っていた。【岡村崇】
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