1991年6月3日に発生した雲仙・普賢岳の大火砕流から間もなく33年。火山研究者や防災、報道関係者ら約100人がかつての溶岩ドーム、「平成新山」(1483メートル)を確認する防災登山が13日あった。山頂付近は溶岩が積み重なり、小規模な崩落の危険が指摘されている。
頂上は、高さ約30メートルの尖頂(せんちょう)(スパイン)。長崎市や諫早市などからも巨大な突起に見える。2021年6月4日、尖頂の一部が崩落し、平成新山が数メートル以上、低くなったとされる。一帯に積み重なった溶岩は、人より大きなものも多く、不安定な状態が続いている。巨大な溶岩にはひびが目立ち、風化が進んでいるという。
一帯は崩落の危険性があるとして、噴火終息後も「警戒区域」に指定され、立ち入りが規制されている。九州大の松島健教授は「地震などで崩落する危険性」を指摘した。国土交通省が溶岩ドームの動向を監視するために設置した観測機器もあった。
山の東側では、眼下に水無川の河口付近が見えた。91年の大火砕流で犠牲者が出た「定点」の方向だ。砂防工事が終わり、両岸には緑の農地が広がっていた。
噴気を上げている溶岩の塊「第11ローブ」越しには、眉山、有明海が望めた。1792年の眉山崩壊で津波が発生、対岸の熊本側を含め約1万5000人が犠牲になった「島原大変肥後迷惑」の痕跡の小さな島々も、海岸線近くに見えた。
平成新山の火山活動は「落ち着いた状態」(九大)が続いている。噴火警戒レベルは「1」(火山であることに留意)だ。岩尖付近では、真っ白な噴気が勢いよく上がっているが、ほぼ水蒸気という。95年に約700度あった噴気口の温度は、約90度だった。
防災登山は年2回。警戒区域内は、溶岩が不安定に積み重なる道なき道で、両手足を駆使して進んだ。眼下の普賢岳の緑がまぶしい。噴火終息後、種の空中散布などで緑化を試みた成果だ。
平成新山の溶岩には根付かなかったとされるが、それでも自然に生えた草など緑が戻りつつある。松島教授は「普賢岳も、眉山も、かつては溶岩ドーム。平成新山も数百年後には、緑に覆われるだろう」。【神崎真一、尾形有菜】
平成新山
普賢岳(1359メートル)が1990年11月17日、198年ぶりに噴火。その後、マグマが冷え固まって形成された溶岩ドームが崩れて何度も火砕流が発生し、91年6月3日の大火砕流では、地元消防団員や報道関係者ら43人が犠牲になった。噴火が終息した96年、溶岩ドームが「平成新山」と命名され、県内で最も高い山となった。
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