俳優の中尾彬さんが、今月16日に心不全のため亡くなっていたことがわかりました。81歳でした。
トレードマークは“ねじねじ”。妻の志乃さんが呼び始めたそうです。
64歳のとき、急性肺炎による多臓器不全で闘病したのち、夫婦で“終活”に取り組んでいました。
武蔵野美術大学油絵学科に合格した1961年、日活ニューフェイスにも合格した中尾さん。絵画でパリ留学、役者として劇団『民芸』で修業。磨き上げた2つの才能を、生涯発揮しました。
デビュー作『月曜日のユカ』は、上流ナイトクラブで、年上男性をとりこにする彼女を持つ青年の役。当時、歓楽街から芸能界へ羽ばたいた若者たちのグループ、六本木族や野獣会と戯れ、感性を磨きました。
中尾彬さん(1970年):「つくるという喜びは役者の中にあるから。自分にないものをどこかでつくっていこうと」
ゴジラとの闘いは、何度も。
中尾彬さん(2002年):「ゴジラは4作目です。ちょうど今年、還暦になったので、東宝からご褒美で『総理大臣やってくれ』と。ちょっと困っちゃったんですけどね。最近、日本の総理大臣て、ろくな奴がいないもんで。少しは判断力と勇気を持った芝居してみようかと思ったが、なんせ私のことですから、いい加減な芝居になってしまったが。きょうは楽しんでください」
品格と凄み、作品に宿した独特の存在感。出演する作品には、こだわりがありました。
ドラマ『ドクターX』の撮影時は、こう語っていました。
中尾彬さん(2014年):「(白衣を)着ると医者っぽく見えてて、着ないと詐欺師みたいなんだよ。ジジイばっかしだからさ、色気がないんだよ。若い人が出ないとドラマじゃないみたいなところあるけどね。やっぱりドラマっていうのは、色んな世代の人が出て初めて成立する。だって、世の中のエキスを集めたようなもんじゃない」
中尾さんの訃報に悲しみの声が広がっています。
『ドクターX』でも共演した西田敏行さん(76)。
西田敏行さん:「不粋を嫌い、饒舌なお喋りを嫌い、素晴らしい先輩でした。お疲れ様でした。そしてありがとうございました」
日活同期の高橋英樹さん(80)。
高橋英樹さんのブログから:「長く長く付き合いたかったなあ!逝ってしまうのは まだ!早いぜ!!寂しくて 涙もでないよ」
コメンテーターとして、時にはぶつかり、親交を深めた岸博幸さん。
経済評論家・岸博幸さん:「ニュースでも政治でも、その価値観からおかしいものはおかしいとはっきり言う。中尾さんは、当時、安倍政権が進めている政策で、彼の価値観に合わない部分、安全保障や経済の関係は、本当にバッサリ言ってくれた。たまに言い過ぎて、CMのときに『言い過ぎたかな』ということがあったが、全然、誰に恐れることもなく、誰に忖度(そんたく)することもなく、本当にしっかりものを言っていた。日本人はこうあるべきだと。昭和のころの良さを、すべて兼ね備えた方だった。若いころ留学して、海外も知ったうえで、日本の伝統的な良いものを、自分なりの価値観で持っていて、そこからぶれないという強さがあった。同時にやさしさ。やっぱり格好いいわけですよ。本当に人生の教師、親分でした」
昭和17年、千葉県木更津生まれの中尾さん。画廊に足を運んで集めたマティスや、ベルナール、フジタらのコレクションを自身の作品とともに、地元の街に託しました。市では、多くの人々にみてもらえるよう検討しています。
“終活”は断捨離ではなく、役目を終えたものを、価値を知る人のもとへ移動させる。夫婦でそんな話をしていました。
講談社『終活夫婦』から:「終わりの活動をしているわけだから、やっぱり活動なんだよ。活動っていうのは、生きていくためにやることであって、死に支度ではない。だったら、どれだけ楽しくやれるか、だ」
中尾さんが亡くなったのは、16日の夜中だったそうです。
妻・池波志乃さんのコメントです。
「終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました。
応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます。
本人は元気で、12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。
まだ志乃〜と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね〜と笑って送ってあげてくだされば幸いです」
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