1982年に、「ヒロシ&キーボー」としてリリースした『3年目の浮気』が大ヒットした、歌手の黒沢博さんが亡くなっていたことが分かりました。75歳でした。
実兄で、俳優・歌手の黒沢年雄さんが、自身のブログで公表しました。
黒沢年雄さんは「博が…亡くなった…。」と、題したブログで「僕にはふたつ違いの三人の弟がいる…三番目の弟が博…。」「大ヒットした"三年目の浮気"のヒロシ&キーボーの博である。」と、明かしました。
続けて「僕ら兄弟は大変な時代に生まれ育った…特に僕が16歳その下が14歳…博は12歳その下が10歳の時に…母親が40歳の若さで亡くなりました。」「振り返ってみると想像を絶する波瀾万死の毎日でした…僕は高校を辞め弟達の為に必死に働きました…。」「不純ですが…動機はスターになって金持ちになりたかった…それが現実となり弟達の就職先も決まっていきました。」と、振り返りました。
黒沢年雄さんは「東宝映画の専属になり…加山雄三さんの"エレキの若大将"に出演…ゲストに出演した寺内タカシさんと知り合い、エレキでアマチュアバントをやっていた博を入れて頂いたのです…その後バニーズというグループで世に出たのです…時が経ち、博は低迷期…。」と、投稿。
続けて「僕はその時期"やすらぎ"時には娼婦のように"と立て続けに大ヒットの絶頂期…仕事が次々舞い込んできます…。」「ある時…仲間の作詞作曲家の佐々木勉さんから…僕が結婚して三年目の頃…佐々木さんから…黒ちゃんにピッタリの曲が出来たから歌ってくれるとの要望…それが"三年目の浮気…聴いて直ぐに気に入らないので断りました。」「暫くして…弟の博が歌ってるではないですか!!」「それからは皆さんがご存知の大ヒット!」「それからの博の活躍…とても嬉しかった…しかしそんな状態がいつまでも続くわけがありません…その後は大変だったと思います…。」と、記しました。
黒沢年雄さんは「昨夜…口の聞けない博にいっぱい話しかけました… 博がいつも,兄貴はスーパーマンだといいふらしていたので…耳元で冗談に"俺はスーパーマンだから全て任せて安心しろ"と言ったら、とても喜び僕の手を強く握り返して涙を流し喜びに溢れていました…数時間いて少し元気になったから大丈夫だろうと、一旦引きあげました…4時間後急変…電話が来て"娘さんが電話の向こうでパパ!パパの叫び声が入って来ました…直ぐに病院に駆けつけると…医師から臨終ですとの言葉…。」「今は幼い頃の博が頭に蘇って涙がとまりません。」と、その思いを明かしています。
【 黒沢博さん プロフィール ※公式サイトより引用 】
男ばかり4人兄弟の三男として1948年横浜で生まれる
(長男は俳優の黒沢年男)
11才の時にエルビス・プレスリーの歌を聴いて影響を受け歌手になる決心をする
17才で寺内タケシとバニーズのヴォーカリストとしてデビュー
1982年ヒロシ&キーボーとしてリリースした『3年目の浮気』が130万枚をセールス。
日本有線大賞「最優秀新人賞」受賞・全日本有線放送大賞「最優秀新人賞」を受賞する
【担当:芸能情報ステーション】
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