二宮和也主演で6年ぶりに日曜劇場に帰還した『ブラックペアン シーズン2』。シーズン1に引き続き、医学監修を務めるのは山岸俊介氏だ。前作で好評を博したのが、ドラマにまつわる様々な疑問に答える人気コーナー「片っ端から、教えてやるよ。」。今回はシーズン2で放送された4話と5話の医学的解説についてお届けする。
4話のオペ:世良先生と天城先生のシーン
オペシーンの撮影はどのシーンも念入りに準備するのですが、特にこの4話のオペシーンは撮影のかなり前から色々念入りに打ち合わせをして、長い時間をかけて臨みました。
まず石灰化した冠動脈の裏側の石灰化がないところにグラフトを吻合する手順を再度確認してみましょう。
1. 6-0で冠動脈を引っ掛けて裏側が見えるように展開
6-0の糸で冠動脈の周りの組織を引っ掛けることで吻合しやすくすることはよくあり、それを応用して冠動脈の裏を展開するというシーン。6-0で冠動脈を引っ掛けたら、その糸をモスキートという小さいペアンで掴み引っ張ることで冠動脈がひっくり返り裏が見えてきます。
2. ビーバーメスで切開
ここは本来は先が細いメスで切るのですが、その名前がプッチンであったりトンガリと呼ばれていることが多く、緊迫した場面では合わないかなと思いビーバーメスで切開するということにしました。ビーバーメスは刃先がビーバーの歯のような形をしています。
オペの道具には結構動物の名前が付いているものがあり、先ほどのモスキートもそうですが、ブルドッグという血管を挟んで血流を遮断する道具もあります。世良先生が内胸動脈の血流を止めるために使っていたり、天城先生がダイレクトアナストモーシスが終わった後、膿盆にカランという音と共に置いているのがブルドッグ鉗子です。
3. 1.5シャントチューブ挿入
これは1.5㎜の太さのチューブを冠動脈の中に入れるのですが、このチューブがあると冠動脈に血液を流したまま吻合することができます。1番細くて1.0㎜のチューブまであります。
4. 7-0で吻合
7-0.8-0の糸は(8-0の方が細い)髪の毛よりも細い糸で先端に6〜7㎜の針が付いています。この糸で1〜2㎜の内胸動脈と冠動脈を縫い合わせていきます。吻合した後の形が靴に似ていることから、かかとの部分をヒール、つま先の部分をトーと言います。
まずヒールを縫い合わせてからトーを縫っていきます。天城先生が「ヒール側の半周は終わった。次はトーだ。」と言ってましたよね。エルカノが8-0で縫合してくださいと言っていましたが、7-0の方が8-0よりも糸が太いので、石灰化があるような強い組織は少し太い糸で縫う方が良く、薄いペラペラの組織は8-0で繊細に縫合した方が良く、そこは執刀医の裁量で決めます(自分はほとんど7-0で縫ってます)。
途中で世良先生が「水ください」と要求してますが、あれは生食をかけることで糸の滑りを良くして組織が切れないようにしています。「このグラフトだと8-0では弱すぎる」はグラフトを7-0でしっかりと締めて吻合したいということ。「7-0だと組織が切れる!」とは7-0だと糸が太く張力が強すぎるから血管の壁が切れるということです。
吻合の形は天城先生の言ってた通り「トーが膨らむように」デザインするのが良いと言われています。吻合の針の角度が全て一回で決まり、左手のセッシでブレることなく優しく組織を把持し、ブレることなく組織に垂直に針が入り、組織を傷つけることなく優しく針が抜かれて…天城先生の言うように「軽やかに」吻合するのが天才外科医への一歩となります。
撮影の時は天城先生と世良先生の動きを合わせるのに、一個一個の手技を細かいところまで同じ動き、同じスピードにしました。糸を上げるタイミングはメトロノームを使い72bpmで揃えて5拍に1回と決めて行い、モスキートの持ち方、糸の把持の仕方も揃えました。ビーバーメスの切開も実際にやってもらい、一発でOK。マイクロの道具を扱うのは非常に難しく、心臓外科医でもほとんどの人は震えてしまうんです。なのに2人は普通に全く震えず、しかも一回で全てOKで、いつも通り驚かされました。
震えないためにはいくつもコツがあるのですが、まず天城先生も世良先生も見られることに慣れていて本番で全く緊張しない。あと二宮さんが以前トランプタワー?みたいなのを1分で立てるみたいな映像を見たことあるのですが、そこに震えないためのたくさんのメソッドが入っていて、なるほど、だからこんなにスムーズに震えずに2㎜の模擬血管を切開できて1.5㎜のシャントチューブもスッと入れられるんだなぁ、と非常に感心し勉強になりました。
なかなか心臓外科医って視野が狭くなってしまいがちで、他の分野に目を向けることができないんですね。あらゆるトップレベルの表現者の感覚、感性、訓練方法、準備、本番に向かう姿勢等を学び吸収することが心臓外科手術の発展につながるので、是非若い先生には視野を広く持って頑張って欲しいものです…と、すいません、脱線しましたが、とにかく天城先生世良先生2人の動きをピッタリ合わせるために細かく手技を設定して、あらゆる角度から様々な方法で撮影したため、かなり大変でした。
大変な撮影の中、直向きに練習する天城先生の横で世良先生はメトロノームに合わせて指揮を振り出す余裕!監督と「こういうお調子者、クラスに必ず1人はいましたよねー」と爆笑しながらベースでモニターを見てました。
エルカノの画像
今回医療用AIエルカノが出てくるにあたり、エルカノが見た術野の心臓の映像をどうしようかと考えてすぐに思いついたのはViewtifyという3DCG画像です。
「真面目に解説すると、この動く心臓の3DCGはCG制作チームがそれっぽく作ったものではなく、(ドラマ内では出てきていませんが)本物の心臓4DCT画像からその場でViewtifyでリアルタイム3DCGとして忠実に可視化ものです(但し撮影本番では予め映像として録画したものを使っています)。」(瀬尾拡史先生のXのポストより)。
冠動脈のバイパス吻合は靴の形になると先程述べましたが、我々の仕事は立体構造の再構築という面が強く、そのための非常に力強い味方となる画像構築方法がこのViewtifyです。リアルに日本はもちろん世界的に広がりを見せているツールです。
何より画像が綺麗で、動いている状態での構造がわかるので弁の形成術(ドラマでは佐伯式)を行ったり、小児心臓外科の複雑な構造修正、再構築手術に非常に有用です。
また我々の心臓外科以外の分野でも注目を浴びていて、開発者の瀬尾先生は全国海外まで飛び回り非常に忙しく仕事をされています。今回何とか瀬尾先生にお願いしてエルカノの画像として使わせていただき、近未来的な手術シーンを作ることができました!本当にありがとうございます!
医者のプライドとは
エルカノの指示のもと、新生血管増殖剤(本来はない薬です)を使用してバイパス手術を野田先生は行いましたが、新生血管増殖剤の副作用で血栓ができてしまい冠動脈が詰まり心室細動になってしまいます。冠動脈が詰まってしまうと(いわゆる心筋梗塞)心臓の筋肉に酸素や栄養が渡らずに心臓の筋肉が正常に収縮せずに痙攣のような状態になることをVf(心室細動)と言います。
このような場合は心臓マッサージをして全身の血流を保ちつつ、菅井先生が言っていたようにDC(Direct current 直流電流の略ですが、除細動の意味で使われます)をして電気的に心室細動を止めます。麻酔科の先生も同時に薬剤で心室細動を止めようとします。それでも戻らない場合は人工心肺をつけて、身体の循環を保たないといけません。
全身の血流を保ちつつ、冠動脈の血流を再開させるために再度バイパス術を世良先生は施行します。バイパスが終わり少し経つと心臓の拍動は戻るのですが…血管の壁が脆くて大出血をしてしまいます。ここで天城先生が登場します。
天城先生が新たな術式「ロングオンレイパッチ+ベインエクステンション(静脈で伸ばしていく)」を行おうとすると野田先生は「エルカノを騙すなー!」「お前に医者のプライドはないのか?」と騒ぎ立てます。ここで天城先生も医者のプライドとは何なのかというセリフを放つのですが、野田先生と天城先生の根本的な違いとはなんなのでしょう。
ここで2人のセリフを見てみると…。
野田先生「世界中の医学知識を網羅し医療の歴史その全てがここに蓄積されている!究極の医者を!この私が!」「私のエルカノは全ての医者たちが培ってきた英知、プライドそのものなんだ!」
天城先生「患者は何が何でも生きたいという思いでこのオペ台にいるんだ。その思いを形にするのが我々医者の仕事…いや、医者のプライドなんじゃないの?」
2人とも患者さんのために最善を尽くすという意味では根本的に一緒であると思うのですが、野田先生の場合は過去のデータ、医学知識、論文を全て網羅し勉強しその中で患者さんに最適な方法を選択するべきというプライドがあるのに対し、天城先生は過去のデータを網羅した上で今患者さんのために自分ができることは何なのかを考え、患者さんの思いを形にすることが医者のプライドと言っています。
論文、データは確かに大切で、そこから各患者さんに最適な術式は導かれるのですが、最終的に患者さんの命に直結するのは、全て投げ出された命の目の前にいる執刀医の腕です。一瞬の気の緩み、甘さ、油断、慢心、準備不足、訓練不足でオペは簡単に失敗します。私自身もオペに向かっている時は「絶対に妥協しない。絶対に気を抜かない。絶対に助ける。この人に最高のオペを提供する。」と何度も何度も心の中で反芻しながらオペをしていますし、日頃からその思いを持ち訓練に励んでいます。
これは当たり前のようなのですが、世の中には「オペの全ての責任は執刀医にある」という大原則を忘れてしまう外科医もいて、野田先生のように論文にはこうあった、データではこうだったから、状況が悪かったから、前医の初動が悪かったから、AIが導き出したから…と責任を放棄してしまうのです。「全ての医者たちが培ってきた英知、プライド」はあるのですが、野田先生自身のプライドとは?となってしまうわけなんです。
シーズン1の1話でも渡海先生は大動脈解離の治療方針を佐伯教授に委ねた外科医に「失敗の全ての責任は執刀医にある」と詰めていましたよね。天才といわれる外科医は自己の命をも犠牲にして患者を救いにいき、そのために必要な訓練トレーニング、イマジネーション、シミュレーションを人生の全時間をかけて行っているのです。
天城先生は「患者の命が救われるなら、例え自分の命が削られようと何とも思わない」って木崎社長の前でも言っていますよね。
セミナーとかでも良く若い先生に言っているのですが、チェスのトッププレイヤーの実力と最も相関した独立因子は試合数ではなくイマジネーションとシミュレーションにかけた時間と言われているんですね。天城先生も繰り返しオペはイマジネーションと言っていますが、彼は常にオペのことを考えている。それこそ寄付金を募っている時も、エスプレッソに砂糖たくさん入れている時も、クラシックを聴いている時も、常にオペに関連させて思考しています。
Xでも少し触れましたが、愛するエルカノに振られてしまった野田先生の迫真の演技はスタッフはじめ天城先生、世良先生にも賞賛を受けていたのですが、撮影したオペ室が暑かったこともあり野田先生は毎回酸欠状態となりカットがかかると息が切れてフラフラでした。私はとにかく水分補給を促すことしかできず…。
あとバタバタと動き回る中でも実は清潔不潔に気を付けていただき、タブレットを頭の上に上げるシーンでは絶妙に顔に腕がつかない角度を打ち合わせして演じていただきました。天城先生の「ねぇ怖いよ怖い怖い、バタバタしないで」のところは、まさに野田先生の迫真の演技に対する正直なリアクションでした。
「患者は何が何でも生きたいという思いでこのオペ台にいるんだ。その思いを形にするのが我々医者の仕事…いや、医者のプライドなんじゃないの?」は、患者さんの生きたいという思いを形にする天城先生っぽい発想というか「オペは芸術」って言葉に通ずるところがあるなと聞きながら非常に感心しました。
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イムス東京葛飾総合病院 心臓血管外科
山岸 俊介
冠動脈、大動脈、弁膜症、その他成人心臓血管外科手術が専門。低侵襲小切開心臓外科手術を得意とする。幼少期から外科医を目指しトレーニングを行い、そのテクニックは異次元。平均オペ時間は通常の1/3、縫合スピードは専門医の5倍。自身のYouTubeにオペ映像を無編集で掲載し後進の育成にも力を入れる。今最も手術見学依頼、公開手術依頼が多い心臓外科医と言われている。
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