きのう自身のSNSで、乳がんに罹患し、がん治療を開始したことを告白したタレントの梅宮アンナさんが、TBSテレビの取材に現在の心境を明かしてくれました。
アンナさんは、乳がんのひとつである「浸潤性小葉がん(しんじゅんせいしょうようがん)」のステージ3Aと診断されています。
最初に胸に違和感を感じたのは今年の5月中旬。アンナさんは、左右の胸の大きさが違うことに気づいたそうで “胸が収縮して、皮が引っ張られて痛かったんです。でも更年期障害だと思いました。毎日自分で調べてもいましたけど、(考えが)がんに結びつかなかったです。” と、当時を回想。5月下旬にはマンモグラフィーなどの検査を受けたそうですが、“エコー検査でも、マンモグラフィーでも写らなかったんです。6月中旬には血液検査を受け、6月後半に、「腫瘍マーカーの数値が高い」と胸の組織を採った結果が出て、正式に(病気が)わかったのは7月3日です。” と、経緯を説明しました。
判明まで時間がかかったことについてアンナさんは、“機械が悪いのではなく、がんは隠れるのが上手いんです。(私の場合も)誤診とかではなく、たまたま運が悪かった。” と受け止めつつ “マンモグラフィーで写らなかった時、良い方に考えたいから「大丈夫だ」と喜んだんですけど、そのままにしたらダメ。やっても写らないことがあると、頭においてほしい。怖いからと検査に行かない人もたくさんいる。でも、がんって一分一秒無駄にできなくて。一つの選択で全然違うというのは思いました。” と、真摯に呼びかけました。
医師から病名を告げられた時は母のクラウディアさんと一緒だったそうで、“(医師が)ズバッと言うんですよ。母の性格を知っているので、耐えられそうにないし「連れてくるんじゃなかった」と思って、母の顔を見られませんでした。” と、自身よりクラウディアさんの心配をしたというアンナさん。“「あっ、そうなんだ。よく51歳までならなかったな」と思うくらい、「がんになる」とは頭でうっすら思っていた。” と、自身はしっかりと受け止められたそう。その理由について、アンナさんは、“父(梅宮辰夫さん)もずっとがんと共に生きていたので、小さいころから興味があった。梅宮一族はがんが多いので、「きっとがんになる」と、覚悟は小さいころからできていました。” と話しました。
アンナさんは、がんだと判明してから価値観が変わったそうで、“「なんで(がんに)なったのかな」「あのとき暴言を吐いた罰かな?」とかいろいろ考えるんですけど、この病気にならなきゃいけなかったのかなと思う。付き合う人が変わります。心を持った人とじゃないと喋れなくなっちゃったんです。意地悪な人と喋れなくなった。仕事とかも、自分がキャパオーバーなことをしていたことに気づくんです。” と、人間関係や仕事で自分が無理をしていたことに気づけたそう。“買い物をするだけでもそれを感じたりして、いろんなことのジャッジが簡単になりました。新しい自分が始まるなと思いました。” と前向きに話しました。
今後の治療については “私の場合は、がんが散らばっていて、なおかつ塊が大きいので、いまやってしまうと、手術はリスクが高い。まずは抗がん剤で進行を止め、弱める。個人差はあるんですけど、私は(抗がん剤を)2週間に1回と先生に提案されて、身体が保つかというのもあるんですけど、このまま上手くいったら4か月で抗がん剤が終わります。ちょっと未知なんですけど、私の中では1年半、2年くらいを考えています。” と明かしました。
そんな、抗がん剤治療で髪の毛が抜けていく現状から “インスタとかで「ブリーチやりました」なんて、当たり前のようにやっていたけど、髪の毛のなくなった人は、絶対私のインスタ見ないよね。” と、気づきがあったそう。“だからこれからは美容とかも「抗がん剤をやります」「抗がん剤のアレルギー反応があります」じゃあ、何の化粧水を使えばいいの?っていうものを作っていけたら。ウィッグも、日本には私の髪の色のウィッグがないんですよ。高いのはあるんですけど、そういうのは病気の人にいらなくて。いかに安くて、かわいく自然に見せてっていうものを私は提案していきたい。そういう仕事に携わらせていただきたい。” と、新たな活動に意欲を見せました。
また、励ましの声について “ありがとうなんだけど、みんな「アンナちゃんなら大丈夫」「ステージ4だった私の友達は元気にやってる」という言葉をすごくもらったんですけど、私の心がちっちゃいのかなと思っちゃうほど嫌だった。なんかプレッシャーなんですよ。みんなすごく先のことを言うんですけど、がんって調べれば調べるほど甘く見ちゃいけなくって。(みんな)「大丈夫だった」その過程がどれだけ大変かっていう説明はしてくれないんですよ。地球にいる人間の数だけ、がんの顔もあるんです。全部違うので。” と、思いを告白。その経験もまた学びだったと言うアンナさんは “少しだけ先にある未来の約束をしてくれた友達がいて、「元気になって、快気祝いでハワイでゴルフしよう!」って言ってくれたのが一番印象的で、一番うれしかった。その人は「頑張って」も「大丈夫」も言わない。「あぁ、こうやって言うんだ」って思った。” と、心が救われたエピソードも話してくれました。
そんなアンナさん、ハワイには “手術の後、放射線もあるので、2年くらい行けないのかな。” としつつ ”でもハワイでは快気祝い「梅宮アンナゴルフコンペ」やりますので” と思いを馳せていました。
【担当:芸能情報ステーション】
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