ネパールの世界遺産「カトマンズ盆地」はヒマラヤ山脈の南、標高1300メートルの高地にあり、面積は東京23区よりもちょっと広いくらいです。そこに、中世に3つの王国が鼎立し、お互いに競って都や王宮を作りました。その天空都市ともいうべき3つの古都と寺院群などが文化遺産となっています。

大地震からよみがえった古都 土台だけになった寺院もかつての姿に

2015年撮影 ネパール大地震で崩壊したカトマンズ

歴史的に貴重な建築物を含め、カトマンズ盆地の3つの古都が大地震に襲われたのは2015年4月。阪神淡路大震災を超えるマグニチュード7.8というネパール大地震によって、8000人以上が亡くなり、2万人以上が負傷。ネパールの人口の約3割にあたる800万人が被災し、文化財も壊滅的な被害を受けたのです。

2015年撮影 土台だけになった寺院

番組「世界遺産」は1997年、2003年、そして2015年のネパール大地震の半年後にカトマンズ盆地を撮影しています。2003年と2015年に撮影した映像を比べると、その被害の大きさは明らかでした。土台だけを残して崩壊してしまった寺院。

世界遺産を構成資産のひとつ 仏塔ボダナート
2015年撮影 大地震で損壊したボダナート

首都カトマンズの旧王宮も外壁が崩れかかり、つっかえ棒で支えてしのいでいました。「仏陀の知恵の目」と呼ばれる不思議な目が描かれた世界最大級の仏塔ボダナートも、復旧のための足場でその目を見ることが出来なくなっていました。

2024年撮影 土台の上の建物も復旧

それから9年経った今年、番組は再びカトマンズ盆地に向かいました。この27年間で4回目の撮影となります。古都の復興はめざましく、土台だけだった寺院は復元され、カトマンズの旧王宮も元通り。

2024年撮影 復旧したボダナート

仏塔ボダナートの「目」も、再び見ることが出来るようになっていました。大地震で壊滅した天空都市は、かつての姿を取り戻していたのです。番組の長い歴史の中でも、これほど劇的な変化をした世界遺産は稀だと思います。

長期にわたって撮影をしていると、こうした建物だけでなく「人」の変化もカメラは記録します。

仏教とヒンドゥー教が共存するネパールの象徴的な存在 少女の生き神・クマリ

ネパールの少女の生き神「クマリ」

ネパールには「クマリ」と呼ばれる少女の生き神がいます。クマリはネワール族という古くからこの地に住んでいる仏教徒の民族から選ばれ、初潮を迎えるまで生き神として人々の信仰の対象となります。クマリは額に「第三の目」のような印を付けているのですが、これはヒンドゥー教の神にあやかったものと考えられており、仏教とヒンドゥー教が共存するネパールの象徴的な存在ともいわれます。

世界遺産の「カトマンズのクマリの館」

また街や村ごとにクマリがいて、そのためかなりの数の「少女の生き神」が存在します。特に古都カトマンズのクマリは王制時代には「ロイヤル・クマリ」と呼ばれ、王も崇拝する特別な存在でした。今でもカトマンズの「クマリの館」と呼ばれる建物に住んでいて、これも世界遺産に登録されています。

2003年に取材したクマリの少女

番組は2003年に、そんなクマリのひとりを取材したのですが、当時は7歳。その12年後、2015年にカトマンズを撮影したときには、彼女は女子大生になっていました。15歳のときに生き神ではなくなり、人に戻ったとのこと。さらに9年後、今年2024年に撮影に行くと、彼女はクマリについてのスポークスマンみたいな存在になっていました。

2024年 インタビューに答える元クマリの女性

「私は神と人間、その両方を経験したんです」

と、スーツ姿で流暢にインタビューに答えた元クマリの彼女。クマリでいる間は人前で話したり歩いたりしないことになっているので、こんな風にハキハキ答える姿には時の流れを感じました。

ネワール族が作り出したレンガと木彫りの伝統建築

このクマリという伝統を生んだネワール族。カトマンズ盆地で世界遺産になっている伝統建築はレンガと木彫を組み合わせているのが特徴なのですが、それもネワール族が作りあげたスタイルです。

「世界遺産」という番組は、期せずしてネワール族の生んだふたつの文化、伝統建築とクマリの27年間の変化を映像で記録してきたのです。長く続いてきた番組ならでは・・・でしょうか。

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