Apple(アップル)の新製品発表会で流されたプロモーションビデオに、SNS上では批判が殺到している。
巨大プレス機によって、楽器や家電などが次々と破壊され、最終的に残ったのは、過去最薄をうたうiPadの新製品。優位性をビジュアルとして描いたものと思われるが、とくに日本国内からは「失望した」といった批判の声が絶えず、最終的にAppleは謝罪に至った。
これまで10年以上にわたって、ネットメディア編集者として、数々の炎上案件を見つめてきた筆者の視点から、なぜ「Appleの楽器プレスCMは炎上したのか」を考えてみると、そこには大きく5つの要因があると考えられる。ことの経緯とSNSの反応をまじえつつ、どのあたりが問題となっているのか見ていこう。
「ショックを受けた」「下品すぎる」と非難の声が殺到
話題の映像が流されたのは、日本時間2024年5月7日深夜に行われた、Appleのイベントだった。そこで発表された新型タブレット「iPad Pro」の紹介ビデオに、注目が集まった。積み上げられた楽器や家電に、天井からプレス機が迫る。
【画像】ギター、ピアノなどが次々と破壊される、Appleのプロモーションビデオ…もはや「残酷」にも思える映像だ(9枚)
トランペットを皮切りに、ピアノやアーケードゲーム機、メトロノームに彫刻、カメラにギターに書籍まで……。ありとあらゆるものが上からつぶされる。プレス機はいったん閉ざされ、ふたたび開き出したと思うと、そこには新型iPad Proが置かれていた。
「ショックを受けた」「下品すぎる」
この動画はティム・クックCEO(最高経営責任者)のXアカウントなどのSNSにも掲載され、「ショックを受けた」「下品すぎる」といった非難の声が殺到した。一方で、「こうした批判は、あまり海外では見られず、日本人を中心に苦言を呈している」といった指摘も相次いだ。
ギターなど、様々なモノが破壊される動画内容。最終的にiPadは生き残る。薄さをアピールしているようだ(出所:AppleのYouTube)後にも書くが、日本の美徳と、海外のそれはイコールとは限らない。そのため筆者は、なかなか日本人ユーザーの「お気持ち」には反応しないのでは——と感じていたが、意外にもAppleの動きは早かった。
アメリカの広告業界メディア「AdAge」は5月9日、「Apple apologizes for IPad Pro ad that ‘missed the mark’ (AppleはiPad Proの広告を的外れだったと謝罪した)」と題したウェブ記事を掲載し、担当者の謝罪コメントを伝えた。この記事については、日本でも10日、各メディアが報じている。
ひとまずの「謝罪」を受けて、沈静化しそうな今回の事案だが、なぜここまで炎上したのか。すでにネット上には、さまざまな「分析」が拡散されている。そこへ「炎上ウォッチャー」である筆者の考察を掛け合わせると、大きく5つの要因があるように感じる。
(要因1)ものを大切にする価値観(要因2)相次ぐ値上げへの反発
(要因3)比較広告の受け入れられにくさ
(要因4)「らしさ」という幻影の弊害
(要因5)そもそも意図がわからない
ひとつずつ見ていこう。
まずは「ものを大切にする価値観」。とくに日本においては、一度買った道具は、修理を繰り返してでも、長く愛用しようとする考え方が根強い。国民性でもある「もったいない」精神は、ノーベル平和賞受賞者の故ワンガリ・マータイ氏によって「MOTTAINAI」として輸出されるほどで、裏を返すと、海外には珍しい価値観なのだろう。
また、あらゆるものに「神」が宿るとの考え方もある。プロモーションビデオでは、人形が破壊されるシーンもあったが、日本では「人形供養」も珍しくない。おたき上げすることで、長年ともにしたものへの感謝を伝え、気持ちを整理する。今回の「破壊」はそうした過程を経ず、敬意に欠けているように見えたのではないか。
続く要因が「相次ぐ値上げへの反発」だ。今回発表されたiPad Proは、一番スペックの高い仕様にすると42万円。およそ従来の「タブレットに使う金額」からは、かけ離れているように感じる。加えて日本では、円安ドル高が急激に進んだことにより、あらゆる物価が高騰している。それを加味した、Apple製品の国内価格もまた、それなりに上昇していることから、潜在的にたまっていた日本ユーザーのストレスが、一気に爆発してしまったのではないか。
日本では馴染まない「なにかと比較する広告」
3つめの要因は「比較広告の受け入れられにくさ」だ。今回の映像は、楽器や家電と、新型iPad Proを比較することで、オールインワンのツールだということをアピールしたかったのだと思われる。しかし、そもそも「なにかと比較する広告」自体が、あまり日本では馴染まない。
日米間のギャップが浮かび上がった直近の例として、2023年11月の外資系ホテル「ヒルトン(Hilton)」によるウェブCMの炎上騒動がある。
早口で館内説明をまくし立てる旅館の従業員を映した後に、ヒルトンの高級ホテル「コンラッド(CONRAD)」へ場所を移し、時間にとらわれない宿泊を楽しめるとの対比を示したものだったが、SNS上などでは批判が相次ぎ、動画は非公開となった。(「ヒルトンの『旅館見下し動画』大炎上も当然の理由」)
「旅館を貶めている」として、炎上したヒルトンの広告動画。これも比較広告だった(出所:ヒルトンのプロモーションサイト/動画は非公開になっている)もっとも、Appleはかつて、日本でも比較広告を行っていた。たとえば、アメリカ本国で行われたプロモーション戦略「Get a Mac」キャンペーンの日本版では、お笑いコンビ「ラーメンズ」を起用。擬人化された「Mac」と「パソコン」による掛け合いをコミカルに描いたシリーズもので、「Mac」のほうが洗練されている印象を与えた。今回の騒動をめぐっては、当時のCMを思い出したとの声も、チラホラ見られている。
プレス機の映像を見て、SNS上では「ジョブズが生きていれば」との反応も少なくない。カリスマCEOであったスティーブ・ジョブズ氏の死から十数年が経過して、当時の価値観が失われているのでは、といった指摘は数多い。
そこで浮かぶのが「『らしさ』という幻影の弊害」だ。いまもジョブズ氏が生きている世界線に思いをはせ、どこかに「Appleらしさ」の幻影を見ることで、現実とのギャップを嘆いているのではないか。
ただ、かつてのAppleには「強者にセンスで立ち向かう」というストーリー性があった。パソコンであればマイクロソフト(Windows)、音楽プレーヤーならソニー(ウォークマン)のように、強い競合企業を追いかける立場だった。業界事情の変化は鑑みる必要があるだろう。弱者が挑むストーリーと、すでに強者となった側が差を見せつけるストーリーは、心象も異なって当然だ。
そして最後の要因が、「そもそも意図がわからない」ことだ。新型iPad Proの薄さやオールインワン性能を示したいのであれば、破壊以外での形容もできたはずだ。SNS上では「iPadへ吸い込まれる描写なら良かったのに」という反応もある。
見る者をモヤモヤさせる「回収されない伏線」
プレス機は塗料ボトルも破壊し、楽器などの残骸には、カラフルな液体がぶちまけられた。その色はなにを示しているのか。ディスプレーが高精細だと言いたいのか、さまざまな用途に使えるという比喩なのか。
百歩譲って、もし今回のプロモーションビデオが、「破壊と再構築」を描こうとしたのだとしても、iPad内で再構築されているカットが入らなければ、その意図は伝わらない。物体としては形を失っても、その音色や機能は、この中に変わらず息づいている——。そう感じさせる演出があれば、まだ救いの余地はあったのかもしれない。
見る側に考える余白を与え、判断を委ねる。広告のみならず、クリエイティブの世界では、そうした表現は珍しくない。しかし「回収されない伏線」ほど、見る者をモヤモヤさせるものはない。極端なことを言えば、「つぶしっぱなし」な印象を残した。
とはいえ今回、Appleほどのグローバル企業が、わずか数日で、「的外れ」との全面謝罪に至ったのは画期的だ。AdAgeの報道によると、テレビでの放映も見送られたという。風評が一瞬で海を越えるSNS時代において、新たな「炎上対応」の形ができつつあるように感じる。
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