喰われかかった自治体の住民が立ち上がるケースもある。

手狭なため、しっぽが切り離された恐竜の復元模型(写真:河北新報)

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地方創生が叫ばれて10年。実現できたという自治体はそう多くない。では、政府が流し込んだ膨大な「地方創生マネー」はどこへ溶けていったのか。『週刊東洋経済』5月11日号の第1特集は「喰われる自治体」だ。※本記事は2024年5月10日6:00まで無料で全文をご覧いただけます。それ以降は有料会員限定となります。『週刊東洋経済 2024年5/11号(喰われる自治体)[雑誌]』(東洋経済新報社)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。定期購読の申し込みはこちら

北海道道央の南部に位置する人口7300人ほどのむかわ町。山あいの穂別地区にある町立博物館の一室に、恐竜「カムイサウルス・ジャポニクス」の復元模型が鎮座する。2014年に穂別地区で全身骨格で見つかった新種の恐竜だ。

全長8メートルの巨体は手狭な展示室には収まり切らず、しっぽの部分が取り外されている。

そこで新しい博物館の計画が持ち上がった。むかわ町穂別地区に暮らす中沢十四三(とよみ)さん(66)は言う。

「どこの自治体も高齢化しているし、過疎が進んで寂れていくのは仕方がない。でも“寂れ方”ってある。愛されて手入れされる建物は長持ちするじゃない? 新しい博物館も、そうあってほしいの」

穂別の住民らでつくる「新博物館を考える町民会議」の代表を務める中沢さん。以前は「黙っていても立派な博物館ができる」と楽観的に考えていたが、今は違う。

「官民連携の落とし穴」

一人の住民として主体性を持ち、長く愛される博物館を地域ぐるみでつくりたいと心から願っている。新博物館計画が直面した「官民連携の落とし穴」を目の当たりにして、意識が変わった。

むかわ町の新博物館計画には当初、備蓄食品製造のワンテーブルが深く関わっていた。同社は、企業版ふるさと納税をした企業の子会社がその寄付金を使った町の事業を受注するという“資金還流”スキームを作った、実質的なコンサル会社だ。

ワンテーブルと連携して新博物館の基本設計を請け負った建築設計の船場(東京都)のプランは、カムイサウルスの展示を目玉に「観光の拠点化を図る」とする内容だった。館内各所を内壁で仕切って展示室を順番に見て回る設計で、デジタルコンテンツなどの「エンタメゾーン」があり、入り口近くには「シアターゾーン」を設けるという。

町が主催した住民説明会で示された新博物館の施設イメージに、中沢さんは強烈な違和感を覚えたという。

「ちょっと違うんじゃない?と思いました。これじゃあ、私たち住民の魂が入らない」(中沢さん)

住民の心の拠り所だった博物館(写真:河北新報)

住民の魂が入っているか

現在の博物館が整備されたのは1982年。75年に水生首長竜の「ホベツアラキリュウ」の化石が見つかったのがきっかけだった。ホベツアラキリュウは「ホッピー」の愛称で親しまれ、化石を所蔵する博物館は地域のかけがえのないシンボルとなった。

そんな住民たちの心の拠り所である博物館が、ホッピーを感じさせない観光客向けの「エンタメ施設」に鞍替えさせられようとしていた。

カムイサウルスは03年にむかわ町民が化石の一部を見つけ、13年からの本格調査で全身の化石が発掘された。大型恐竜の全身骨格の発見は日本初だった。穂別の住民は地域を挙げて喜び、町も世界に誇る恐竜化石を地方創生の核とすべく、18年に博物館のリニューアル計画を打ち出した経緯がある。

期待の新博物館計画は、最大震度7を記録した18年9月の北海道胆振(いぶり)東部地震で一時中断を余儀なくされたものの、地震から4年後に再始動した。むかわ町によると、ワンテーブルの島田昌幸社長(当時)が町を訪れ「東日本大震災の復興の知見を伝えたい」と申し出てきたことが契機だった。もろ手を挙げて歓迎した町は同社と包括連携協定を締結し、島田氏は「地域力創造アドバイザー」として町に関わるようになる。

ところが島田氏が、官民連携を通じて「(自治体の)行政機能を分捕る」などと社外の関係者に語っていたことが明らかとなり、状況が一変。河北新報が23年3月21日付で発言内容を音声データ付きで報じると、ワンテーブルは自ら申し出て、むかわ町から撤退した。

報道で事態を知ったむかわ町の住民は、むろんのこと憤った。その年の8月に住民有志による町民会議が設立され、前出の中沢さんが代表に就いたのだった。

穂別地区で地域書店を営む吉川敬一さん(72)も、新博物館の行く末を強く案じた一人だ。30年前から続くまちづくり会社の会長を務め、道路工事から公共施設の管理まで、利益度外視で住民生活を支えてきた。「最初はたった一本の木でも、仲間ができれば林にも森にもなる。自分たちの活動は、この町を後輩世代にどう残すかという使命感で続けてきた」と、吉川さんは語る。

町民会議が活動を始めた頃、報道を受けてワンテーブルと決別した船場は、基本設計に続いて新博物館の実施設計も受託しようと、単独で町内の業者に協力を求めて回っていた。新博物館の実施設計を受託するには共同企業体を組織する必要があったからだ。吉川さんも船場の担当者と会う機会があったが、地域の将来や博物館への思いを共有できないと感じ、首を横に振った。

「大事なのは新しい博物館に住民の魂が入るかどうかですから」。吉川さんら穂別の住民の「木々」の思いは、町民会議を通じて「森」のように広がった。

船場は協力企業を集め切れず、応募の辞退を余儀なくされた。船場は河北新報の取材に対し、新博物館の実施設計の応募を目指した際に「(むかわ)町内の建設業者に協力を求め、断られたのは事実」と認めたうえで「一連の報道を受け、ワンテーブルとは今後一切の関係を持たないことを社内決定」したと明らかにした。

お仕着せではない本来の「地方創生」

むかわ町の新博物館計画がこじれたのは、そもそも行政が地域の重要施策を企業に投げ、住民の思いを十分に聞くことなく事業を拙速に進めた結果でもある。立派に思える計画であっても、確かな民意の裏付けがなければ、結局は画餅に帰す。丁寧な対話をおろそかにしてはならないのだ。

そして何より、持続可能な地域社会の実現には、住民一人ひとりが自治の主体として権利と責任を意識し意思決定に関わる、不断の努力が欠かせない。

むかわ町穂別の住民は、自分たちの愛する地域を自分たちの手で支え守ろうと、進んで行動を起こした。それはお仕着せではない、本来の「地方創生」だった。

むかわ町は23年12月、地元建設会社を中心とした共同事業体に、博物館リニューアルの実施計画事業を委託した。26年春のオープンを目指す新博物館では、実物の化石と一緒に「完全体」の模型が展示される予定だ。

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