JR岡山駅南に西日本最大級のショッピングモール、「イオンモール岡山」が誕生してから2024年12月で10年を迎えます。イオンモール岡山とその周辺は、この10年でどのように変化したのでしょうか。
(オープン初日の買い物客)
「一番乗りを目指して並んだ。前日の昼1時から」
「総社から。私は広島から。」
「岡山県高梁市成羽町から来た。朝6時に起きて。全部見て回る。1日かけて。」
「倉敷のアウトレットに行かないとなかったのでここみたいに色んな店が入っているのがなかったので便利だなと思った。」
2014年12月5日、JR岡山駅南に西日本最大級の大型商業施設、イオンモール岡山がグランドオープン。バイオ関連企業の林原、現在のナガセヴィータが所有していた4万6000平方メートルの広大な土地に建設されました。
地上8階、地下2階建て。西日本のイオンモールの旗艦店で、新たな岡山のシンボルの誕生でした。オープンから2024年で10年。すっかり街に定着したイオンモール岡山はコロナ禍を乗り越え、連日、県の内外から多くの客が訪れています。
(訪れた人)
「品数が多い。ショップもたくさんあるし、選べる(物が多い)ところが好き」
「イオンに来るといろんなお店があるので一気に買い物が済むとこが良いと思う。」
JR岡山駅とは地下通路で直結。岡山市中心部にこれまでなかった大型商業施設は岡山県内だけでなく、広いエリアをターゲットにしていました。利用客を引き付けるイオンモール岡山の店づくりについて、藤本康久ゼネラルマネージャーに話を聞きました。
(イオンモール岡山 藤本康久ゼネラルマネージャー)
「キーワードは『ここにしかない』。岡山市、岡山県はもとより、四国・山陰からも来店してもらうためには他にはないブランドや店舗、岡山の強みを味わってもらいたいもの体験してもらいたいものを重ねて来店につなげていけたら」
市街地に進出するにあたり求められたのが周辺地域との共存でした。イオンモール岡山はただ商品やサービスを提供するだけではなく、地域のつながりを創出する場としての店づくりをしてきました。
(イオンモール岡山 藤本康久ゼネラルマネージャー)
「地域の課題解決や情報発信の一つのポイントとして役割を果たしていきたい。」
この10年間で周辺の商店街など岡山市中心部にはどのような変化があったのでしょうか。街づくりに詳しい専門家はこのように話します。
(岡山大学 学術研究院 中村良平特命教授)
「周辺のお店もこの10年間でプラスの影響とマイナスの影響両方がある。イオンが出来たことによって店舗を改装して客を呼び込めた店もあれば、イオンに客を奪われてしまった店もあると思う。」
イオンがオープンする前、岡山市北区にある表町商店街では多くの店が危機感を募らせていました。
(表町商店街連盟 大開博之理事長)
「物量では確実にかなわない。後はいかにお客さんに優しくするか、とか、アフターサービスとか細かい修理とか、ちょっと年齢層の高い方がゆっくり買い物出来るようにするとか、そういうこと」
表町商店街もこの10年で大きく変化しました。2023年9月に岡山芸術創造劇場ハレノワがオープンし、新たな賑わい創出の場が誕生しました。こうした巨大施設は、周辺商店街にとってマイナスだけではなく、良い影響も与えるといいます。
(岡山大学 学術研究院 中村良平特命教授)
「自分たちも頑張らないといけないという、刺激や対抗意識(が生まれた)。イオンがあるから客を取られてしまう。商店街も周辺に対して、存在価値を出していくことが大事。」
これから岡山市中心部がさらに発展していくために。中村教授は、街づくりの重要なカギがあると話します。
(岡山大学 学術研究院 中村良平特命教授)
「ウォーカブル歩けるような街づくりをコンセプトに中心部の開発が進んでいることが多い。近くで言うと(兵庫県)姫路市は駅前の道路をほとんど車をシャットアウトして歩道を拡幅したことによって人出が増えてその結果、土地の価値が高まった。駅周辺は歩けるような街づくりにすることがこれから重要になってくる。」
イオンモール岡山の誕生以来、この10年で大きく変化した岡山市中心部。今後、歩きたくなる街として発展を続けるには、拠点施設と周辺地域の好循環を生み出すことが欠かせません。
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